中村政則氏の『近現代史をどう見るか・司馬史観を問う』

中村政則氏の『近現代史をどう見るか・司馬史観を問う』
佐桑健太郎
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/sakuwa.html
1.はじめに
 司馬史観を批判した本に、中村政則氏の『近現代史をどう見るか・司馬史観を問う』(1997・岩波ブックレット)がある。この本を中心に、司馬史観の信奉者と言う藤岡 信勝氏と実際の司馬史観の関連に関して検討してみたい。 この本で中村氏が取り上げているのは、明治維新・日清戦争・日露戦争・大正デモクラシー・太平洋戦争・天皇観についてである。 以上の問題に関して中村氏は、藤岡氏の主張に対して「司馬史観の受け売りである」「司馬氏の考えを誤解している」と批判する。それでは、個々の批判を具体的にあげてみる。
1.明治維新に関して 「廃藩置県」に対する藤岡氏の評価は司馬遼太郎の受け売りである。元々の司馬氏の考え方すら間違っているのに、藤岡信勝はそれを鵜呑みにして歴史的な検証を怠っている。藤岡氏が歴史教育を改革する必要性を感じたのは、「廃藩置県を含む明治維新は、完全な無血革命だからフランス革命よりもすばらしいはずなのに、不当な評価を受けている。」ということだが、その考え方自体が司馬氏の受け売りなのである。
2.日清・日露戦争に関して 藤岡信勝は司馬遼太郎の「坂の上の雲」に則って日露戦争は祖国防衛戦争であるとするが、その後の朝鮮併合など帝国主義植民地政策の流れを無視している。また、司馬氏は行きすぎた膨張政策によって戦後崩壊への道を歩むことを視野に入れているが、藤岡氏は異なる。
3.大正デモクラシーに関して 司馬遼太郎の歴史観は「明るい」明治と「暗い」昭和の単純な対比の上に成り立っているので、大正時代を取り上げていない。近代史上もっともリベラルな時代であった大正デモクラシー期を無視している。これは司馬史観を盲信しているからである。  
4.太平洋戦争に関して 司馬氏の考えと中村氏の主張は、ほぼ一致している。「あの戦争は大東亜戦争と呼ぶべきだ」とか「単に侵略戦争とは言えず、結果としてアジアの独立につながった」などという主張は「国家主義史観」と呼ぶべきものである。    
5.天皇観に関して 司馬遼太郎は「天皇が実際に政治に口を出すことはほぼなかった」と言うが、そうとは言えない。

2.考察 これが中村氏の批判の概要だが、さらに要約すれば、次のようになる。  「司馬遼太郎の歴史観は明治時代を日本の頂点とし、後は暗黒の昭和に向けて一気に駆け 下っていったというものである。そのため間にある大正時代は単なる過渡期としか捉えて いない。藤岡信勝は司馬史観の信奉者であり、この歴史観に詳細な検討を加えることなく 盲信する傾向にある。さらに一部ではこれをも逸脱して国粋主義的な主張もしている。」

 中村氏は、司馬史観と同時に、それを盲信する藤岡信勝も批判する。藤岡氏に対する批判はほとんどが彼の「盲信」に対するものである。個人的には、小説家である司馬遼太郎を「批判」するというのはお門違いに思えるが、逆に、歴史小説を根拠に教科書問題を語った藤岡氏も問題はあるだろう。藤岡信勝の主張には検討を加えなければならないだろう。  Copyright(c) 1999,Kentaro SAKUWA


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