サンデー時評:新聞・テレビ消滅論にみる「大仰」
サンデー時評:新聞・テレビ消滅論にみる「大仰」
先夜、東京・赤坂の小料理店で女子大生と話した。早大政経学部の三年生、この店でアルバイトしながら、就活に忙しいという。 「わたし、新聞社かテレビ局に入りたいんです」と彼女が言うので、私はまず尋ねた。
「新聞、何かとってる?」 「いえ、特に」 「一紙も」 「ええ」 「じゃあ、新聞読んでないの?」 「たまに読みますよ、大学の図書館なんかで……」 「友達も新聞とってないのかなあ」 「そうじゃないですか」 「あんた、それで新聞社に入ったとして、何やりたいの?」 「そりゃあ、記者とか」 「ふーん、記者志望ならねえ、新聞には目を通しておかないと」 「はい、これからは読みます。たびたび図書館に行って」
購読するという展開にはなりそうにない。少なからずいらついた。 「あんた、試験受けるなら、一紙ぐらいとって新聞になじんでいたほうがいいと思うがね」 「そうですか。じゃあ、とります」
大学生が新聞を読まないという話は以前から聞いていたから驚かないが、新聞社を希望する学生まで読まない。そこまで来ている。ビール会社に就職したいからといって、前もってビールを飲まなくてもいいでしょ、という理屈を聞かされているみたいで、新聞人の一人として心穏やかでない。
続き
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若い人に聞くと、ほとんど新聞をとっておらず読んでいません。昔ならバカになったと憤慨したでしょうが、今は紙面を読むにつけ、仕方がないなと思うようになっています。今までさんざん失敗してきた守旧派官僚らの言い分だけ載せて、つるんでいるんじゃあね。新聞が終わっていく…歴史に残るでしょう。
新聞を読んでいると、つくづく官僚の目線、高齢保守層向けになっているなあと思う。マニフェストを金額に矮小化したうえに、マニフェストを修正しろ、消費税上げて財政破綻を防げばかり。1年もたたずに選挙公約を放棄しろという新聞って何なのかしら?次の選挙で何を言うか楽しみです(笑)
masaru_kaneko: 今朝の朝日新聞の解説記事「危機」シリーズを読んで「危機」にあるのは朝日新聞であることが分かった。財源組み替えから消費税増税へ、普天間移設で自民党案へ戻ったのが、ポピュリズムから現実主義への転換だというのです。いま100年に1度の歴史的危機にあるという認識が全くない新聞が問題です。
金子勝 (masaru_kaneko) on Twitter
新聞・テレビ消滅論にみる「大仰」大のつづき
詰めの民主党代表選にしても、新聞・テレビをじっくり読む・観ることは少なく、ケイタイ情報などでチラリと知ればこと足れりなのだろう。本当の情報とは何かが理解されない時代になっている。
とにかく、新聞・テレビの経営危機が年々深刻になっているようだ。テレビの出演料が最近がたんと落ちたことでも、それははっきりしている。読者、視聴者が減り、従って新聞の場合は販売、広告の両収入、テレビは広告収入がダウンしたからだ。 危機に陥ったからといって、経営努力で再起を果たすケースはいくらでもあるが、新聞・テレビは努力が効きにくい業種らしい。
去年だったか、Y社の経営者から、 「消費税が上がれば、きみんとこ(M社)はつぶれるよ」 とあからさまに言われたことがあった。怒るよりも前に、新聞業界の生存競争がかなりの段階にきたことを知らされた感じだった。なぜ新聞・テレビは斜陽産業に陥ったのか。答えは一つ、二つではない。
本棚から積ん読本の一冊、佐々木俊尚著『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)を取り出して開いてみた。初版が二〇〇九年七月、この四月で九刷りというから、新聞は読まれなくても、このテの本は売れているらしい。 似たような題名の本は何冊も出ている。パラパラめくったことはあるが、どれも思い込み先行型の内容でほとんど参考にならなかった。ただ、本書は〈2011年〉と消滅時期を明記しており、それが目の前に迫っているのも多少気になったりして、買い求めておいたのだ。
◇意識革命迫られるが誇張してはいけない 著者の佐々木さんに面識はないが、経歴をみると、私の三十年後に入社した元毎日新聞記者で一九九九年に退社、IT雑誌の編集者を経て、二〇〇三年からはフリーのITジャーナリストとして活躍中という。先日来、二、三カ所で佐々木さんの名前を耳にした。 「あの孫正義と激論して泣かした男……」 というのである。ソフトバンク会長の孫さんと佐々木さんがインターネットテレビで対談した際、孫さんが全国に光回線網を敷こうとする計画をめぐって、多くの人から、 「結局、元韓国人の孫さんはソフトバンクのためにやっている」 と言われるのが悔しいと涙を流した。 「私は日本人以上に日本人の魂を持ち、愛国心を持っているんです」 と。
佐々木さんは孫さんの感情をそこまで高ぶらせた討論力の持ち主ということだった。 本に戻ると、〈2011年〉、つまり来年と期限を切った理由は割合単純である。 〈アメリカでは二〇〇八年、多くの新聞が倒れ、多くの街から伝統ある地方紙が消え、「新聞消滅元年」となった。いままでもそうだったように、アメリカのメディア業界で起きたことは常に三年後に日本でも起きる。すべては約束された宿命なのだ〉 と佐々木さんは書いている。
去年、アメリカを代表する『ニューヨークタイムズ』紙倒産の噂が流れたのは確かだが、持ちこたえた。〈常に三年後〉というのは、文化がアメリカナイズされ、よくも悪くもアメリカを後追いするハメになる日本的習性はわからないではないが、やはり思い込み先行型である。百数十年営々と続いた新聞史の幕引きが、宿命論で片づけられてはかなわない。
〈原因は、新聞・テレビのぬるま湯体質という日本の特異性にあるのではない。そこを間違ってはならない。もっとグローバルな問題なのだ。新聞・テレビを取り巻いているのは、圧倒的な構造不況なのだ〉 とも佐々木さんは指摘した。はるか後輩が教えてくれるグローバルな問題とは、構造不況とは何なのか。 二百三十七ページを通読して、〈消滅〉という言葉が不適当なことがわかった。情報流通の主導権が新聞・テレビからインターネットによるIT企業に移りつつあり、それが大きな変革であるのは言うまでもない。
だから、新聞・テレビは思い切った意識革命を迫られているが、第一次情報の発信源が新聞・テレビであることに何の変わりもないのだ。古い新聞社、古いテレビ局は姿を消す、と佐々木さんは言いたいようだが、それを〈消滅〉と大仰に表現するのは、記者OBらしくない。手作りの公平な情報こそが真の情報だ。古巣を俎上にあげるのに、誇張はいけない。 二〇一一年に、新聞・テレビが消えるはずがないのである。 <今週のひと言> 秋風のなんと恋しかったことよ。 (サンデー毎日 2010年9月26日号)岩見隆夫のコラム 2010年9月15日
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