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2010年8月10日 (火)

【放送】日本版FCCは断念? 言論の自由を守る砦とは

【放送】日本版FCCは断念? 言論の自由を守る砦とは2010年8月10日
メディアレポート     筆者 本橋春紀
 昨年12月から、原口一博総務相の主導により、総務省で「今後のICT(情報通信技術)分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」が開催されている。

 設置の目的は、「民主主義の基礎となるインフラであるICT分野において、『言論の自由を守る砦』をはじめとする国民の権利保障等の在り方について検討すること」と書かれている(設置の背景は、本誌今年1月号の山本博史「『日本版FCC』論の方向と問題点」参照)。自民党政権時代には、通信や放送にかかわる分野を検討する会議が設けられても、そのなかで「国民の権利」や「言論の自由」が正面から取り上げられることはほとんどなかった。政権交代の成果として、フォーラムの議論に注目してきたが、これも期待はずれに終わりそうだ。

 まず、当初言われていたFCC(米連邦通信委員会=放送行政を担う独立行政委員会)の日本版の設置だが、フォーラムがその方向で結論を出す見込みはほぼなくなった。第6回(6月2日)会合で配付された「当面の進め方(案)」で掲げられた論点は、(1)放送分野における報道・表現の自由を守る取組、(2)通信分野における報道・表現の自由を守る取組、(3)行政による対応の現状と課題、(4)ICT分野における権利保障に係る枠組みの現状と課題、(5)受け手だった国民が発信する側となるための仕組み―であり、行政のあり方を見直す考えは読み取れない。さらに、第7回会合(6月30日)の最後で、原口総務相は「何でFCCをあきらめたという人がいるようだが、ここでの議論の方向はまちがっていない」と発言、新たな機関の設置は考えていないとの考えを示した。また、座長の濱田純一・東大総長も、「砦」というのは行政機関ではなく、民間のさまざまな取り組みを含めた社会的な仕組みを指すと説明した。

 議論の流れの中でも、FCC的な独立行政委員会に通信・放送分野の監督を委ねるべきだという声は強くなく、その是非について詰めた議論は行われていない。現在の日本で通信・放送分野の独立行政委員会を設置することに筆者は懐疑的だが、そのメリット・デメリットについての整理すらされていないことは疑問に思う。総務相が単独で通信・放送分野を監督している制度は、国際的には極めて例外的で、放送という表現活動の監督を政治からできるだけ切り離すために、委員会組織をとることは、いわば国際標準だ。

 民主党は昨年の総選挙前に、マニフェストの付属文書である「民主党政策集INDEX2009」で、「通信・放送委員会」の設置を掲げており、野党時代には設置のための法案を二度にわたり提出した実績もある。政権についた以上、そのことを正面から検討する義務が国民に対してある。

◆消えた日本版FCC 民間の取り組みに焦点
 フォーラムは結局、法制度や行政のあり方から、民間の取り組みに論点が移り変わっている。

 第7回会合では、座長がこれまでの議論を整理した「『言論の自由を守る砦』に関する国民の権利と議論すべき論点」という資料が出された。先述の「当面の進め方(案)」の(1)と(2)を抜き出したかたちで、「放送事業者による報道・表現の自由を守る(公権力による介入を防ぐ/必要とさせない)取組は十分行われているか」「BPO(放送倫理・番組向上機構)は(放送事業者による報道・表現の自由を守る〔公権力による介入を防ぐ/必要とさせない〕ための)自主的規制機関として十分に機能しているか」「通信分野における報道・表現の自由を守る取組は十分行われているか」が提起された。換言すれば、「放送局や放送界が設置したBPOが、まじめに仕事をしていれば、行政は介入する必要がないので、自由は守られる」となる。これは論点を矮小化したものだ。

 言論・表現の自由は、第一義的には制約や規制を受けずに表現活動が行える市民の権利のはずだ。そうであるならば、放送を通じた表現活動にどのような制約が課されているのか。その制約が妥当なのか不当なのか。不当だとすれば、それを解消するにはどのような「砦」が必要なのか―というかたちで議論は展開されるべきだ。具体的には、放送番組の制作者が社会的な問題を告発しようとしたときに、それをためらわせるタブーや圧力がないのか。そうしたことの検証が不可欠だろう。

 もちろん、放送を通じた表現は、一般の市民の表現とは異なり、国民の電波を独占的に利用する免許を受けて行われている。放送の送り手の権利だけではなく、受け手の知る権利が重要だ。フォーラムの論点整理でも、「知る権利―各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつこと」が議論の前提とされている。これに沿って、受け手の知る権利という視点から検証するとすれば、今度は、放送を通じた情報や表現が多様で豊かであるかどうかの検証が求められる。議論では、そうした論点も前面にでてきていない。

 多様性の一つの指標となるのは、マイノリティーへの配慮だろう。日本には、在日の韓国や朝鮮の人々に向けた無料放送はないし、少数民族であるアイヌ語の放送も札幌テレビ放送系列のSTVラジオのアイヌ語ラジオ講座程度しか見当たらない。日本の放送は、制度的に、マイノリティーを重視してきたとはいえない。こうしたことは本来、非営利的で公共的な仕組みとして構想されるべきだが、そうした議論が行政レベルに上ってきたことはない。

 59年前に成立したNHKと民放の並存体制が、市民の権利にどのように奉仕しているのか、していないのか。今後のICT分野における国民の権利を考えるというならば、表現の自由、知る権利の本質を踏まえて、放送制度全体を検証することが不可欠だ。(「ジャーナリズム」10年8月号掲載)

本橋春紀(もとはし・はるき)

放送団体勤務。1962年東京生まれ。成蹊大学卒。日本大学芸術学部放送学科非常勤講師も務める。共著に『放送法を読みとく』(商事法務)、『包囲されたメディア―表現・報道の自由と規制三法』(現代書館)。「ジャーナリズム」最新号の目次はこちら

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