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2010年5月

2010年5月31日 (月)

「坂の上の雲」のどこが問題なのか? ~地元9条の会で講演~ 醍醐聰のブログ

 今日、地元の9条の会(さくら・志津憲法9条をまもりたい会)からの依頼で標題のようなタイトルの講演をした。会の世話人からの事前の説明では、資料はA4サイズの用紙20枚までなら印刷するということだったので、これまでと比べ、資料調べと原稿の作成に時間をかけた。
結局、A4サイズ14枚と年表1枚を準備して会場で配ってもらい、ドラマ「坂の上の雲」に関連した画像と追加資料をスクリーンに映しながら、1時間15分ほど話をした。

 主催者によると、参加者は57名とのこと。私の話のあと45分ほど、質問、発言が相次いだ。
「こんな(「坂の上の雲」のような)ドラマを制作し放送することの是非についてNHK内部で議論されなかったのか?」、「時の権力者は歴史の真実を伝える記録を残さないのが常だと心得ておく必要がある」、「いや、以前と比べ、最近のNHKは歴史ものについて踏み込んだ調査をし、優れた番組を放送している」、「戦争を始めるときにはいつも、『自衛のため』が大義名分に使われる。なぜ開戦にいたったのかについて私たちは歴史をもっとよく知り、これからに活かす必要がある」・・・・・。
 集会のあと、近くのレストランに移動してお茶とケーキで1時間ほど懇親会。参加者は20名ほど。「坂の上の雲」をめぐって活発な議論が続いた。そこでは、学校時代、近現代史を学ぶ機会があまりにも少なかった、だから、明成皇后殺害事件などまったく知らなかったという人が多かった。
 日頃、歴史や政治について会話をしたことのないご近所の方も多数参加されたので、いつもより緊張したが、これまでに自分で調べ、考えてきたことを身近な地域の方々に話し、議論を交わす機会を持てたことは大変ありがたかった。以下、3回に分けて、準備した資料を掲載しておきたい。
続きは醍醐聡ブログで

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福沢諭吉と『坂の上の雲』─「暗い昭和」につながる「明るくない明治」 安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)

福沢諭吉と『坂の上の雲』─「暗い昭和」につながる「明るくない明治」
2009年12月5日 東京文化会館
<「韓国併合」百年と『坂の上の雲』を考える会>結成総会
           安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)

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この報告は、日本の近代を<「明るい明治」と「暗い昭和」>に分断する司馬遼太郎のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が、丸山眞男の<明治前期の「健全なナショナリズム」と昭和前期の「超国家主義」>の二項対立史観を踏襲したものであることを確認したうえで、『坂の上の雲』や戦後日本の丸山眞男流の福沢諭吉研究では、なぜ「明るい明治」=<明治前期の「健全なナショナリズム」>が、天皇制軍国主義の「暗い昭和」=<昭和前期の「超国家主義」>につながったのかが理解できないという問題の提起です。つまり、『坂の上の雲』批判は、丸山眞男の福沢諭吉研究の誤った二項対立史観批判にまで進み出なければならないという問題提起です。

Ⅰ <坂の上の雲>は「丸山諭吉神話」で始まった─「一身独立して一国独立す」の致命的な誤読
日本の近代史を、<「明るい明治」対「暗い昭和」>に分断する司馬遼太郎「史観」のNHKの「空前の超大型ドラマ」<坂の上の雲>「少年の国」(11月29日分)は予想・懸念していた通り、「丸山諭吉」神話で始まった。
理由は、原作『坂の上の雲』①(文春文庫、以下『坂』と略称)では、三人の主人公(秋山好古・秋山真之・正岡子規)の秋山好古に、正岡子規が日本で「だれがいちばんえらいとお思いぞな」と尋ねて、好古が「あしは会うたことがないが、いまの世間では福沢諭吉というひとがいちばんえらい」と答えていたからである(159頁)。つまりこれは、司馬遼太郎が丸山眞男に倣って、「明るい明治」日本を代表する思想家を福沢諭吉と把握していることの表明である。

まず、司馬の<「明るい明治」対「暗い昭和」>は、近代日本を<明治前期の「健全なナショナリズム」対昭和前期の「超国家主義」>ととらえる丸山眞男の誤った二項対立史観(別の表現では、<明治前期のわきまえのある「国家理性の認識」対昭和前期の限界を知らない「皇道の宣布」>)を、分りやすい表現に言い換えて踏襲したものである。問題は、<明治前期の健全なナショナリズム>を代表する思想家として丸山眞男が解明した福沢諭吉像が、近年では門下生も認める虚構の「丸山諭吉像」であるという事実である。
すでに安川は、Ⅰ『福沢諭吉のアジア認識─日本近代史像をとらえ返す』(2000年)、Ⅱ『福沢諭吉と丸山眞男─「丸山諭吉」神話を解体する』(2003年)、Ⅲ『福沢諭吉の戦争論と天皇制論─新たな福沢美化論を批判する』(2006年、すべて高文研)の3著において、戦後日本の福沢諭吉研究に圧倒的な影響を及ぼした丸山の福沢研究が、壮大な虚構の「丸山諭吉」神話であることを論証し、丸山門下生を含めて、基本的に反論のない原状にある。しかしながら問題は、とりわけ日本のマスコミが、その「丸山諭吉」神話の圧倒的な影響下にあるため(Ⅲの序章2参照)、定説化された丸山の福沢諭吉像が、日本社会において、いまなお不動の位置をしめているのである。

29日のテレビドラマでは、丸山諭吉神話をふまえた脚本により、秋山好古が弟の真之に「淳、これはの、あしがこの世の中で一番偉いと思うとる人の本じゃ」と言って、『学問のすすめ』第3編(!)を見せて、「誰じゃ?」「福沢諭吉、ゆう人じゃ。福沢先生の書いたこの『学問のすすめ』にはの、こう書いてある─『一身独立して一国独立す』」「人、ひとりひとりが独立して、初めて国家が独立できる、そういう意味じゃ・・・。あしはな、金を貯めて、東京に出て学問をして、いつかこの人に会う。それが夢じゃ」という問答になっている(NHKスペシャルドラマ・ガイド『坂の上の雲』第1部104頁)。
 これは、主人公たちが「世界史上の奇蹟といわれる近代国家」(『坂』⑧94頁)を成立させた栄光の「明るい明治」の第一人者・福沢の思想を代表するのが、『学問のすすめ』第3編の「一身独立して一国独立す」であることを示したものである。ところが、日本の近代を、「明るい明治」と「暗い昭和」に分断する“国民作家”司馬遼太郎「史観」は、司馬が自認しているように、もともと「暗い昭和」とはつながりようのない、日露戦争までの日本に「贔屓(ひいき)」した、誤った「明るい明治」の歴史像を前提にしたものである。「明るい明治」という贔屓の歴史像の端的な誤りが、テレビにおける丸山流の明治前期の「健全なナショナリズム」を象徴する定式「一身独立して一国独立す」の引用である(これは、『すすめ』第3編の目次の二つの見出し「国は同等なる事」「一身独立して一国独立する事」の後者の引用である。目次自体の国語的な意味は「一身が独立して、一国も独立する」という意味である。問題は、第3編において福沢自身が主張している「一身独立」の中味が、常識的な「一人一人が独立する」という国語的な意味とは大幅に異なっていることです)。

 決定的な問題は、この定式「一身独立して一国独立す」が記載されている『すすめ』第3編において福沢自身が主張している「一身独立」「自由独立の気風」の中身は、秋山好古が理解した<人、ひとりひとりの「独立」>や丸山眞男のいう「個人的自由」「個人の自由独立」「近代的人間類型」などとはおよそ関係なく、「国のためには財を失ふのみならず、一命をも抛(なげうち)て惜むに足ら」ない国家主義的な「報国の大義」のことである(これを皆さんは「個人の自由独立」や「民権の確立」の主張と解釈できますか?それどころか、この福沢の「報国の大義」は、「暗い昭和」の時代の日本で求められた「滅私奉公」「献身没我」の「愛国心」のことである)。2000年刊行のⅠの序章2において、丸山諭吉神話の誤謬の代表格であるこの丸山流の解釈は「福沢諭吉研究史上最大の誤読箇所である」と指摘して以来、誰からも反論のない現状である。
  ※ つまりテレビ『坂の上の雲』は誤謬(ウソ)で始まっている。日本には「始めよければ終わりよし」という格言がある。『坂の上の雲』に関しては、この格言は「始めがウソなら、終わりもウソ」に訂正されなければならない。

問題を鮮明化するために、あえて先取り的に指摘しておこう。司馬遼太郎は、大胆に日清戦争の「勝利の最大の因は、日本軍のほうにない。このころの中国人が、その国家のために死ぬという観念を、ほとんどもっていなかったためである。」(②119)、つまり日本の勝因は日本兵が「国家のために死ぬという観念」をもっていたから、と書いている。この記述と対比するなら、『すすめ』の定式「一身独立して一国独立す」は、明治日本が「自国の独立」を達成するためには、司馬が日清戦争の勝因という「国家のために死ぬという観念」、つまり滅私奉公の「愛国心」「報国の大義」の必要性を、福沢が(日清戦争の20年以上も前に)先駆的に主張していたものと解釈することが出来るのである。

 ただし、この大胆な解釈の妥当性は、『文明論之概略』終章において、日本の近代化のためには、「先づ・・・自国の独立を謀り、(「一身独立」などの)其他(の課題)は之を第二歩に遺して、他日為す所あらん」と公約していた福沢が、結局は、生涯、貴重な「一身独立」の課題との取り組みを放擲したまま、日清戦争を迎えると、「我国・・・四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽し、・・・財産を挙げて之を擲(なげう)つは勿論、老少の別なく切死して人の種の尽きるまでも戦ふの覚悟・・・内に如何なる不平不条理あるも之を論ずるに遑(いとま)あらず。」という、(およそ「健全なナショナリズム」ではない)天皇制ナショナリズムと「昭和十年代を先取りした滅私奉公」の「一億玉砕」論(高史明)の社説「日本臣民の覚悟」を書くに到ったという事実によって初めて確認される問題である。

Ⅱ 初期啓蒙期の福沢の思想は「明るい明治」の「健全なナショナリズム」ではない─「暗い昭和」の「訓練された政治的白痴」
初期啓蒙期の福沢は、三度の洋行体験をふまえ、国際関係の現実は「傍若無人」、「パワ・イズ・ライト」の関係にあると認識していた(丸山諭吉神話では、国と国とは平等)。この弱肉強食の国際関係認識を前提にして、福沢は日本の近代化の綱領的方針を提示した『文明論之概略』終章において、「今の日本国人を文明に進るは此国の独立を保たんがためのみ。」として、「自国の独立」確保を至上・最優先の民族的課題に設定した。その際の福沢の優れていた点は、「人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為す可らず」と書いて、「一国独立等の細事に介々たる」態度は「文明の本旨には非ず」という、「文明論」についての正当な基本認識を表明していたことである。つまり、「自国独立」最優先は明治維新当初の「今の世界の有様を察して、今の日本のため・・・今の日本の急に応じて」提起した限定的な課題設定であることについて、彼は「此今の字は特に意ありて用ひたるものなれば、学者等閑に看過する勿れ。」と、繰り返し注意を喚起していたことである。

以上の断りを踏まえた上で福沢は、維新当初の日本では「先づ事の初歩として自国の独立を謀り、(「一身独立」のような)其他(の課題)は之を第二歩に遺して、他日為す所あらん」と述べていたのである。(福沢が『概略』の著述を思い立ったのは1874年3月頃であり、定式「一身・一国独立」の『すすめ』第3編を執筆・刊行した73年12月には『概略』の近代化構想とその手順は既に意識されていたものと推測可能)。
啓蒙期福沢の思想理解における丸山眞男の致命的な誤りは、福沢本人が「自国独立」を最優先課題に設定して、「一身独立」の課題は「第二歩に遺して、他日為す」と公約しているのに、丸山が定式における「一身独立」と「一国独立」の二つの課題は、この定式において「民権論と国権論の内面的連関というものが、最も鮮かに定式付けられ」ており、「個人的自由と国民的独立、国民的独立と国際的平等は全く同じ原理で貫かれ、見事なバランスを保っている。それは・・・日本の近代ナショナリズムにとって美しくも薄命な古典的均衡の時代」と、結論づけた事実である。

丸山の誤りは、既述したように、『すすめ』第三編の定式における「一身独立」が「自国独立」最優先の課題に見事に照応して、「国のためには財を失ふのみならず、一命をも抛て惜むに足ら」ない「報国の大義」であり、この定式内では「一身独立」や「民権の確立」の課題はなんら論じられていないことの無視である。信じ難い事実であるが、服部之総、遠山茂樹、家永三郎、岩井忠熊、加藤周一など安川のⅠ以前のすべての先行研究者が、丸山のこの決定的な誤読に追従した。
福沢本人が「一身独立」の課題は「他日為す」と明確に(後述するように、結局は生涯)先送りしているのに、「一身・一国独立」が「見事なバランス」だの「美しくも薄命な古典的均衡」云々と解釈するのは、お粗末の極みである。加えて福沢は、「自国独立」確保最優先は、「今の世界の有様」に即した限定的な課題設定であり、「自国独立」確保は「文明論の中に於て瑣々たる一箇条」という優れた歴史認識を提示して、「此今の字は特に意ありて用ひたるもの・・・学者等閑に看過する勿れ。」と断っているのに、丸山らがそれを「等閑に看過」したことは、思想家福沢に対して失礼の極みである。

 以上により、「一身独立」の課題を保留し先送りした「一身・一国独立」論が「健全なナショナリズム」の定式であるはずのないことは明らかである。しかし問題は、「暗い昭和」につながる「明るい明治」の虚構は、丸山による「一身独立」論の誤読に止まらないことである。「天は人の上に人を造らず・・・」という『すすめ』冒頭の句と『すすめ』の内容が思想的に乖離している(だから福沢は「・・・と云へり。」と伝聞態で表現したが、丸山はそれを無視)という重要な事実を先駆的に指摘した小松茂夫は、「ファシズム期における日本軍国主義と一般国民の意識」についても貴重な論稿を残した(『権力と自由』勁草書房)。

「暗い昭和」期の日本人男性は、労働者・農民だけでなく知識人までが、召集令状一枚によって、自己の生命と人生をいかようにも左右される、そういう国家に生きていたにもかかわらず、むしろだからこそ、そういう巨大な力をもつ<国家>とは一体なにか、それはいかなる原因や理由によって存在するのかという、「<国家>の本質、起源、存在理由」への「問いは、ひとびとの意識の上に、絶えて浮ば」なかったという衝撃的な事実を、小松茂夫は解明した(この研究成果との出会いが、ぼくが『十五年戦争と教育』の執筆を思い立った決定的な動機である)。「暗い昭和」期に日本人が国家の存在理由を問えなかったという事実に照応するのが、またもや福沢の『すすめ』における国家観である。この場合も、丸山は「福沢において政府或は政治権力の存在根拠は・・・基本的人権の擁護にあった」と把握しているが、これも丸山諭吉神話そのものである。

福沢はアメリカ独立宣言を自ら翻訳し、「其通義(基本的人権)とは人の自から生命を保し自由を求め幸福を祈る類」と、「生命、自由、幸福追求」の基本的人権を宣言し、さらに「人間に政府を立る所以は、此通義を固くするための趣旨にて、・・・政府の処置、此趣旨に戻るときは、則ち之を変革し或は之を倒して、・・・新政府を立るも亦人民の通義なり。」と訳出して、政府の存在理由、存在根拠が基本的人権の擁護であり、政府がその存在理由に反した場合は人民に「抵抗権・革命権」のあることも正しく訳出・紹介していた。
 問題は、福沢がその独立宣言に倣って、『すすめ』第2編において日本の人権宣言を行った場合には、「その人々持前の権理通義・・・如何にも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。即ちその権理通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持の物を守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。」とあって、アメリカの人権宣言と対比すると、「自由」が「面目名誉」に変えられているだけでなく、決定的な問題点として、政府が国民の基本的人権を擁護する組織であるという肝心の政府の存在理由を紹介・主張せず、したがって基本的人権から「抵抗権、革命権」も意図的に除外している事実である。

 以上の国家構想に対応して、福沢は、「今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府に従ふ可しと条約(社会契約)を結びたる人民なり。」(『すすめ』第2編)という明白な虚偽を前提にして、「国法は不正不便なりと雖ども、・・・これを破るの理なし」(第7編)「小心翼々謹て守らざる可らず」(第2編)という一方的な国法への服従・遵法と、「国を護るための入用(税金)を払ふ」(第7編)自発的な納税の義務を説いていた。つまり「自由」と「抵抗」の自然権を否定し政府の存在理由を不問に付した福沢は、明治政府への国民の服従の内面的自発性を喚起するために、社会契約思想を換骨奪胎したのである。

 以上のような福沢の数々の限界・制約は、既述した「一身独立」の課題は「第二歩に遺して、他日為す所あらん」と公約していた『概略』における日本の近代化の綱領的方針と対比することで、容易に説明がつく。つまり初期啓蒙期の福沢思想を代表する定式「一身独立して一国独立す」は、弱肉強食の帝国主義時代の国際関係のもとで、至上最優先の「自国の独立」確保をまずアプリオリな前提課題に設定して、国家や政府の存在理由は問わないまま、人権宣言としては自由権や抵抗権を欠落させて、「国のためには財を失ふのみならず、一命をも抛て惜むに足ら」ない国家主義的で非合理な「報国の大義」を要求したものである。

河上肇の<天賦人権・人賦国権>のヨーロッパ型に対比すると、啓蒙期福沢のナショナリズムは、<天賦国権・国賦人権>の日本的近代のパターンを代表する国権主義的ナショナリズムそのものであった。つまりそれは、「人民主権」の理念を欠き「ブルジョア・デモクラシー」の諸原理との結びつきをもたないナショナリズムであり、丸山眞男のいう「健全なナショナリズム」とは、およそ無縁のものであった。
もちろん、だからといって福沢のエセ「一身独立」論が「暗い昭和」の滅私奉公論に、また政府の存在理由を問わない『すすめ』の国家構想が、「暗い昭和」期の日本人が国家の存在理由を問えない「訓練された政治的白痴」(小松茂夫)に直接つながった、と言おうとしているのではない。なにしろ、福沢自身が「一身独立」の課題は「第二歩に遺して、他日為す所あらん」と公約していたからである。

Ⅲ 中期福沢の保守化─強兵富国のアジア侵略路線と「愚民を籠絡する」天皇制の選択
はじめに─『民情一新』を転機とする保守化
 自由民権運動と遭遇した福沢は、他日「一身独立」の課題にも取り組むという啓蒙期の貴重な公約に背を向け、1875年「国権可分の説」で「今日は政府も人民も唯自由一方に向ふのみ。」という明白な虚偽を主張するとともに、「無智の小民」「百姓車挽」への啓蒙の断念を表明し、翌年から「宗教の必用」を説き始め、以後、生涯で百篇をこす論稿による「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」という下層民衆のための宗教教化路線にのめりこんでいった(福沢美化論者は無視)。
 また、1878年の『通俗民権論』『通俗国権論』の同時刊行で民権陣営を「無頼者の巣窟」と非難した福沢は、翌年の『民情一新』において、モデルの欧米「先進」諸国が社会主義・労働運動で「狼狽して方向に迷う」という新たな現実の認識も加わることによって、81年『時事小言』と翌年の『帝室論』における歴史的現実主義の「清濁併呑」路線の選択により、彼は不動の保守思想を確立した。これは、自国独立確保は「瑣々たる一箇条」にすぎぬという優れた歴史認識の上に「一身独立」を「他日為す」という啓蒙期の唯一貴重な公約の放棄であり、日本「人民」と『概略』読者への福沢の明白な裏切りである。

① 強兵富国のアジア侵略路線
「一身独立」を放擲する保守思想の確立は、必然的にアジア認識の転換と「(「富国強兵」ではない)強兵富国」の対外強硬路線、「外の艱難を知って内の安寧を維持する」権謀術数的な「内危外競」(田口卯吉)路線の選択を、福沢にもたらした。82年壬午軍乱、84年甲申政変を好機到来と迎えた彼は、強硬な軍事介入を主張し、自らクーデターの武器提供まで担った甲申政変では、天皇「御親征」と北京攻略まで要求する余りに激烈な開戦論のため、福沢の「時事新報」紙は発行停止処分さえ受けた。

『時事小言』で「無遠慮に其地面を押領」するアジア侵略路線を提示した福沢は、翌年の「朝鮮の交際を論ず」で、「朝鮮国・・・未開ならば之を誘ふて之を導く可し、彼の人民果して頑陋ならば・・・武力を用ひても其進歩を助けん」と主張して、「文明」に誘導するという名目で侵略を合理化した(ブッシュ米大統領のアフガン侵略開始時の「野蛮に対する文明の戦争」も同じ口実)。つまり朝鮮が「頑陋」であることが、武力行使の容認・合理化につながるという帝国主義的な「文明の論理」である。その結果彼は、今や一斉に朝鮮・中国への丸ごとの蔑視・偏見・マイナス評価の垂れ流しを開始した。それが両事変前後の「朝鮮人は未開の民・・・極めて頑愚・・・凶暴」「朝鮮人・・・頑迷倨傲・・・無気力無定見」「支那人民の怯懦卑屈は実に法外無類」「チャイニーズ・・・恰も乞食穢多」「朝鮮国・・・人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」等という発言である。最後の発言は、「面目名誉」を最大の人権と日頃主張する福沢が、朝鮮人は英露の支配下で「終身内外の恥辱」に耐えよという侮蔑的な社説であり、時事新報(意外に知られていないが、後継紙が現在の産経新聞)は、またまた発行停止処分をうけた。

85年「脱亜論」は、その直截的な題名から福沢のアジア観として突出して有名である。しかし、「残刻不廉恥を極め」る朝鮮中国が「数年を出でずして亡国」となるのは必然として、「脱亜」日本が「西洋の文明国と進退を共にし」て、両国の帝国主義的「分割」への参加を提言したその内容は、この時期の福沢にとっては、むしろ不動の国策となっていた。
そのためアジア侵略を目ざす当時の福沢は、同時代人からは「法螺を福沢、嘘を諭吉」(「日の出新聞」)と嘲られ、とりわけ吉岡弘毅(元外務権少丞)からは、「我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル」福沢の道のり(つまり、日本の強兵富国の近代化路線)は、「不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ」というきびしくかつ適切な批判(南京大虐殺・原爆投下・東京大空襲・沖縄戦等の悲劇の予告)をうけていたのである。つまり、福沢は戦後日本の丸山諭吉神話で一躍有名となり、最高額面紙幣の肖像にまでなるが、福沢を直接見聞していた明治の同時代人は「法螺を福沢、嘘を諭吉」と見抜いていた。明治と戦後の日本人のどちらの目が節穴なのか、興味ある疑問である。

② 「愚民を籠絡する」欺術としての神権天皇制の選択
啓蒙期の冷静で批判的な天皇制認識から見れば、明らかな虚偽の「帝室・・・に忠を尽すは・・・万民熱中の至情」「帝室の尊厳は・・・今後千万年も同一様」という主張を始めた福沢は、82年『帝室論』において「国の安寧」維持のためには、日本国民が「数百千年来君臣情誼の空気中に生々したる者なれば、精神道徳の部分は、唯この一点に依頼する」外ないと主張して、『概略』終章の主張通りに、彼は「権力偏重」社会の「惑溺」の総動員に着手した。そして啓蒙期とは逆に彼は、今や「我帝室の一系万世・・・此一点は皇学者と同説」とまで表明した。

 福沢は、天皇制を「愚民を籠絡するの一欺術」と嘲笑する「書生輩」は「政治の艱難に逢はずして民心軋轢の惨状を知ら」ない者と批判し、国会開設後の「政党軋轢の不幸」に備えて、「人心収攬の中心と為りて国民政治論の軋轢を緩和」する「万世無欠の全壁」の帝室の存在が必要であり、「我日本の人民は・・・此中心に輻輳し、内に社会の秩序を維持して外に国権を皇張す可きものなり。」と主張した。つまり福沢は、まさに「愚民を籠絡する」欺術(分かりやすく表現すると「馬鹿な国民を誑かすための騙しの政治装置」)としての神権天皇制を主体的に選択したのである。天皇制の本質を「愚民を籠絡する」欺術と見抜いた「具眼の識者」福沢が、『帝室論』冒頭で「帝室は政治社外のもの」と宣言したのは当然である。「国会開設」によって「政党の争も随分劇し」くなることが予想されるから、「帝室が左を助る歟、又は右を庇護する」事が「得策に非ざる」は明らかであり、帝室は日常的には「政治社外に在」って「遥に政治の上に立て下界に降臨」することが必要であった。

この天皇制構想の意図・狙いについて、6年後の88年『尊王論』において福沢は、帝室が「政治の熱界を去ることいよいよ遠ければ、其尊厳神聖の徳いよいよ高くして、其緩解調和の力も亦いよいよ大なる可し。・・・其功徳を無限にせんとするが故に政治社外と云ふのみ。」と、「政治社外」論の真意を率直に書いていた。つまり彼にとって、天皇制の「経世の利益」「功徳」こそが判断基準の鍵であり、したがって、戦時のように「一旦緩急アレハ」(教育勅語)、天皇制の「功徳を無限」に発揮するために、天皇が直接「政治社内」に出て、(日清戦中の広島大本営での明治天皇のように)戦争の先頭に立つことは当然であった。 

 この天皇制の巧妙な使い分けの構想について福沢は、「古学流儀の忠勇義烈」主義を「正宗の宝刀」に例えて、日清戦中に分かり易く説明していた。「兵馬戦乱の時節には無上の宝にして易ふ可きものなしと雖も、兵乱ここに収まれば宝刀は鞘に収め、・・・宝刀利なりと雖も深く鞘に納めて抜かざるは治世の武士の嗜みなり、・・・我輩が平生に沈黙したるも(日清開戦の)今日を待て大に発せんが為めなり。」と。

Ⅳ <坂の上の雲>が隠し描かない福沢(=日本)のアジア侵略の思想的歩み
 秋山好古が「一番偉いと思うとる」福沢諭吉の思想に即して、丸山諭吉神話と『坂の上の雲』によって隠されている、「明るくない明治」日本の実際の歩みを列挙的に並べよう。福沢は近代日本最大の保守主義者であり、彼が「暗い昭和」時代の見事な思想的先駆者であったことが、以下12点にわたって解明・論証されるであろう。

① 帝国主義強国日本の未来展望ゆえの「外交の序開き」の戒め
アジア侵略の強兵富国路線を提起した『時事小言』の翌1882年の連載社説「東洋の政略・・・」において福沢は、「印度支那の土人等を御すること英人に倣ふのみならず、其英人をも窘(くるし)めて東洋の権柄を我一手に握らん」「日章の国旗以て東洋の全面を掩ふて、其旗風は遠く西洋諸国にまでも・・・」と書いて、大英帝国に比肩する帝国主義強国日本の未来像を描き出していた。
したがって、日清戦争に勝利した晩年の福沢は、「今や隣国の支那朝鮮も我文明の中に包羅せんとす。畢生の愉快・・・望外の仕合」、「国光を世界に耀かして大日本帝国の重きを成したる・・・洸として夢の如く」、「私は自身の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快な事ばかり」と、能天気に自からの人生を総括していたが、その壮大な未来展望ゆえに、「実を申せば日清戦争何でもない。唯是れ日本の外交の序開き」に過ぎないと戒めていた。

② 「満蒙は我国の生命線」発言の先駆者─手前勝手な帝国主義的「大国主義」
多くの歴史書では、アジア太平洋戦争期のキャッチ・フレーズ「満蒙は我国の生命線」論の原型は、1890年の山県首相の「外交政略論」とされている。しかしそれより3年も早い87年の論説「朝鮮は日本の藩屏」において福沢は、「今日本島を守るに当りて、最近の防禦線を定むべきの地は必ず朝鮮地方」と、先駆的に主張していた(福沢の日本=「東洋の盟主」論は、「大東亜共栄圏」の「盟主」思想の先駆)。
 『坂』も、この福沢発言は見落としているが「十九世紀末、二十世紀初頭の文明段階の中では、朝鮮は日本の生命線ということになるのである。」(『坂』③68頁)、「日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。」(『坂』③173頁)と、手前勝手で自国中心的で帝国主義的な「大国主義」のアジア侵略路線を自明の前提にしている。

 しかし、日本の最初の対外出兵となる台湾出兵に反対(福沢は「支那をして五十万テールの償金を払はしむるに至たるは・・・祝す可し」と歓迎)して海軍卿を辞職した勝海舟が、生涯「日清韓三国合従」を主張したように、同時代の日本人にも「小国主義」やアジア連帯を主張する者はいた。『坂』批判の愛媛グループ(「記念館」問題を考える会)が指摘するように、帝国主義の時代であったから、アジア侵略が必然だったのではなく、「日本の外に、・・・日本の行動の環境として帝国主義が存在したのではなく、日本の行動そのものが、帝国主義を展開させる原動力の一つとなった」(木畑洋一)ととらえなければならない。

③   帝国憲法=教育勅語を賛美し「思想、良心、信教の自由」弾圧に加担─「日の丸・君が代」強制への道
大日本帝国憲法を「完全無欠」「完美なる憲法」と手放しで賛美し、教育勅語の発布を「感泣」をもって歓迎し、学校で「仁義孝悌忠君愛国の精神」を貫徹させるよう要求する社説を書かせた福沢は、翌年の内村鑑三の教育勅語拝礼忌避事件を契機とする「教育と宗教の衝突」大論争、つまり近代日本黎明期の「思想、良心、信教の自由」の弾圧・蹂躙という事態に、論説主幹福沢は、完全沈黙を通すことによって、神権天皇制の確立に寄与した。これは、「日の丸・君が代」強制に象徴される、今なお「一身独立」を達成できない現代日本の精神的風土に道を開いた福沢その人の罪業である。
福沢は、憲法発布翌日からの連載社説で、日本人は「数百千年来長上に服従して其制御を受け」てきた歴史によって、「従順、卑屈、無気力」の性格・気質を「先天の性」として形成しているので、この「順良」な性向をむしろ「我日本国人の殊色」であると賛美し、この国民性に依拠して以後の近代日本の資本主義的な発展を楽観的に展望したのである。

④ 「滅私奉公・一億玉砕」の「日本臣民の覚悟」─「暗い昭和」の戦意高揚論そのもの
日清戦争を迎えると、福沢は挙国一致の戦争協力を呼びかける激烈な論説「日本臣民の覚悟」を書いた。福沢は「我国・・・四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽くし、・・・事切迫に至れば財産を挙げて之を擲つは勿論、老少の別なく切死して人の種の尽きるまで戦ふの覚悟」を呼びかけ、「我輩の目的は唯戦勝に在るのみ。戦争に勝利を得て・・・吾々同胞の日本国人が世界に対して肩身を広くするの愉快さへあれば、内に如何なる不平不条理あるも之を論ずるに遑あらず。」と主張した。
福沢の主張がアジア太平洋戦争期の戦意高揚の「戦争煽動論」と同一であることは、在日作家・高史明が四千万「人の種の尽きるまで」を「一億玉砕」の思想と表現し、この論説筆者を誤認定した井田進也が「内に如何なる不平不条理あるも・・・」を「昭和十年代を先取りした滅私奉公論」と非難していることで、明らかであろう。この論説において、福沢が国民の挙国一致の戦争協力を、天皇への「忠義」の名で求めたのは当然であった。しかし、丸山諭吉神話では、福沢のそれは「忠君ナショナリズムとはまったく異質」と主張しているので、その誤りを論証しておこう。

日本人にとって、世界に「比類なき・・・皇統連綿」「神聖無比の」天皇に「忠を尽すは・・・万民熱中の至情」というのが福沢の「尽忠」論であり、戦争を直接担う兵士の場合は「帝室の為に進退し、帝室の為に生死するものなりと覚悟を定めて、始めて戦陣に向て一命をも致す」「天皇陛下万歳!」の皇軍精神であった。『帝室論』以来、「我大元帥陛下の威霊」「御聖徳」を、「三軍の将士は皆御馬前に討死の覚悟を以て」「出陣の日は即ち死を決するの日」と説いてきた福沢が、開戦を迎えて「正宗の宝刀」の「古学流儀の忠勇義烈」を唱え「人心の結合を謀」ったのは当然のことであった。

  福沢天皇制論についての丸山眞男のもう一つの致命的な誤りは、『帝室論』の「政治社外」論を「その論の核心は一切の政治的決定の世界からの天皇のたなあげ」と誤読したことである。福沢自身は、『尊王論』において「其政治の熱界を去ることいよいよ遠ければ、其尊厳神聖の徳いよいよ高くして、・・・其功徳を無限にせんとするが故に政治社外と云ふのみ。」と、(日常における)「政治社外」論の真意を率直に書いていた。
したがって、「一旦緩急」時の持論の「正宗の宝刀」として、1884年甲申政変や日清戦争時に天皇の海外出陣の「御親征」発言をしたのは自然であり、93年の政府の軍備拡張の「伝家の宝刀」として、有名な「軍艦勅諭」を発して「軍国主義強化のためにこそ、天皇の直接的な政治関与が行われた。」(遠山茂樹)時、福沢が「感泣の外なき」ことと歓迎したことも当然であった。加えて彼が、戦争という最大の政治の舞台で、広島大本営の天皇の戦争指導を絶賛し、「忠義」の名で戦争協力を呼びかけたのは、天皇の最大の政治的利用と参与そのものである。戦後民主主義の時代に福沢のこれほど単純明快な「愚民籠絡」の天皇制論を誤読・免罪・擁護した丸山眞男の戦後責任は余りにも大きい。

⑤ 朝鮮王宮占領・旅順虐殺事件・閔妃暗殺・雲林虐殺事件─南京虐殺事件への道
『坂』は「明るい明治」「明治の栄光」を描き出すために、朝鮮王宮占領・旅順虐殺事件・閔妃(王妃)殺害・雲林虐殺事件という日清戦争の不義・暴虐を象徴する全事件の存在そのものを無視するだけでなく、「日本はこの(日露)戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始・・・その理由・・・江戸文明以来の倫理性がなお明治期の日本国家で残っていたせい」(『坂』⑦218ページ)などという大嘘を書いただけでなく、旅順については虐殺事件どころか、「旅順というのは、・・・二度(日清・日露戦)にわたって日本人の血を大量に吸った」(『坂』②107ページ)、つまり旅順のせいで多くの日本兵が犠牲を余儀なくされた、と書くのである。

  これに対して福沢は、四つの事件について、もっぱらそれを隠蔽・擁護・合理化・激励する最悪の戦争報道を通した。開戦前の王宮の武力占領については、事実を隠蔽した上で、国王自身の意志による閔妃政権に代わる大院君の政権復帰という筋書きを紹介した。閔妃殺害については、軍の「王城乱入」は少年輩の「野外の遊興」に過ぎないと嘯き、王妃暗殺という重大犯罪については、閔妃が殺されても当然の人物という物語を英文学の教員に創らせ、アメリカの新聞に掲載しようと画策した(ボツ)。

英米「タイムズ」「ワールド」紙等で世界的に喧伝された1894年11月の旅順虐殺事件について福沢は、事実を隠蔽する道を選んだ伊藤首相・陸奥外相らの方針に追従して、(自紙の特派員報道にもあった)事件を「実に跡形もなき誤報・虚言」と全面否定した。藤村道生『日清戦争』(岩波新書)も指摘するように、旅順虐殺事件の責任が不問に付され、福沢ら新聞人がそれに加担することによって、日本の戦場では「そののちこの種の行為を続発させることになり」、確実に遠く南京大虐殺への道を敷設する役割を果したのである。

⑥ 私有物強奪の勧め─『坂』の「日本軍は掠奪せず」の大嘘
 日清戦争の最初の戦闘の朝鮮王宮占領の時から「ハイエナ顔負けの掠奪行為」が日本軍の伝統となっているのに(中塚明『歴史の偽造をただす』高文研、白井久也『明治国家と日清戦争』社会評論社)、『坂』はロシア軍を「隣り村にまで押しこんできている武装盗賊団」(『坂』③369頁)とか「キリスト教国の・・・軍隊」の「無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している。」と書きながら、「日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。」(『坂』②385ページ)という大嘘を平然と書いている。

 これに対して、社説で清国兵を「豚尾児、臆病なり」と罵った福沢は、2日後の次の漫言で北京の日本兵に私有物の強奪の勧めを書いた。「目に付くものは、分捕品の外なし、何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚へて、・・・チャンチャンの着替までも引っ剥で持帰ることこそ願はしけれ。・・・古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、・・・一儲け・・・」。

⑦ 靖国神社の軍国主義的政治利用の先駆─「戦場に斃るるの幸福」
日清戦争後、「死ハ鴻毛ヨリモ軽シ」の日本兵の「大精神こそ」が日清戦争勝利の「本源」と判断した福沢は、来るべき次の戦争を意識して「再び干戈の動くを見るに至らば、何物に依頼して国を衛る可きか」と問いかけ、「護国の要務」として、この大精神を「養ふには及ぶ限りの光栄を戦死者並に其遺族に与えて、以て戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめざる可らず。・・・恐れ多きことながら大元帥陛下自ら祭主と為らせ給ひ、」と書いて、靖国神社の軍国主義的な政治利用についても先駆的に主張しており、一ヵ月後の靖国神社の臨時大祭には、「辱なくも天皇陛下の御親臨」が実現した。

⑧ 「韓国併呑」の可能性を予告─日本は「清国や朝鮮を領有しよう」としていた
 すでに旅順の占領も終わり、清国が講和全権の派遣を通告してきて勝利の展望が見えていた95年1月の論説において福沢は、「主権云々は純然たる独立国に対する議論にして、朝鮮の如き場合には適用す可らず。・・・今、日本の国力を以てすれば、朝鮮を併呑するが如きは甚だ容易にして、一挙手一投足の労に過ぎざれども、・・・我に利する所少なきが故に先づ之を見合せ、・・・」と主張した。これは「我に利する所」あれば朝鮮併呑もありうることを確実に示唆しており、生前の福沢が(9年後)1910年の「韓国併合」の可能性を見事に予告したものと解釈できよう(韓国「併合」という言葉は、当時の外務省の役人が、福沢の使う「併呑」のような露骨な表現をさけて考え出した言葉である)。

『坂』では、日清戦争について「朝鮮を領有しようということより、朝鮮を他の国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。・・・ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。」(『坂』②49ページ)と主張している。これについては、前掲愛媛グループが陸奥外相の訓令や『蹇蹇録』や参謀本部編『二歩明治二十七八年日清戦争史決定草案』などに基づいて「受け身」性や「領有」の意図なしの誤謬を論証している。

そのことは、以下の福沢発言によっても同様である。開戦直前の94年7月の論説で朝鮮「改革」に論及した場合、それが朝鮮の「主権を蹂躙するもの」と認識しながら、その朝鮮侵略を世界の「文明の進歩の為」の「至当の天職」と福沢は主張した。また、戦中発言でも朝鮮の「文明開進」のために「国務の実権を我手に握」ることや、「戦に勝て土地を取るは自然の結果」発言は自明の前提としていた。また、台湾征服戦争の際の「台湾の処分・・・一切の殖産興業を日本人の手に経営」「台湾・・・土地の如きは尽く之を没収して、全島挙て官有地と為す」も同様である。さらに、台湾領有などの実現した後の①「日清戦争何でもない。唯是れ日本の外交の序開き」に過ぎないという戒めを想起すれば十分である。

⑨ 足尾銅山鉱毒事件の鎮圧を主張し、義和団鎮圧戦争出兵を喜ぶ福沢
日本の進路をめぐる分岐点の年として注目される1900年、国内では2月の足尾銅山鉱毒事件で最大弾圧の「川俣事件」がおこされ、田中正造が「民を殺すは国家を殺すなり。・・・而して亡びざるの国なし」の有名な「亡国」演説を行った。3月に治安警察法を制定した政府は6月、中国の反帝闘争の「義和団」鎮圧の8カ国連合軍の出兵で、帝国主義諸国の「尖兵・極東の憲兵」として、日本は最多の2万2千の兵士が出動した。由井正臣『田中正造』が指摘するように、「鉱害被害民をはじめ資本主義発展のもとに苦吟する民衆を踏台にこの時点で日本は帝国主義にむかって大きくカーブをきったのである」。
 被害農民の大衆的請願行動を「政府は断然職権を以て処分し一毫も仮借する所ある可らず。・・・斯る不法の行為は断じて許す可らざればなり。」と弾圧を要求した福沢は、日清戦勝利を「外交の序開き」に過ぎないと戒めていた通り、「鉱毒問題は日露問題よりも先決」と言い、天皇直訴まで敢行する同時代の田中正造とは対照的に、義和団鎮圧の北清事変への出兵を「世界に対し日本国の重きを成したるもの」と、帝国主義列強への仲間入りを喜び(田中正造は「東学党は文明的」と言い、義和団の指導者全臻準を賞賛)、日本の後事を石河幹明記者たちに託しながら、翌01年2月に死去した。

⑩ 「従軍慰安婦」構想と福沢─いまだに福沢=男女平等論者が定説?
もし福沢がアジア太平洋戦争期に存命していたならば、日本軍性奴隷(「従軍慰安婦」)構想に反対することはなかったであろうと、私がⅠであえて書いた件に触れておこう。理由の第一は、次著『福沢諭吉の教育論と女性観』が明らかにするように、福沢は家父長制的な差別的女性論を体系化した人物であり(丸山諭吉神話では、福沢は生涯「婦人隷属の打破」を主張)、とりわけ「人間社会には娼婦の欠く可らざる・・・経世の眼を以てすれば寧ろ其必要を認めざるを得ず」として、売買春の公娼制度の積極的な賛成論者であり、加えて彼は「賎業婦人の海外に出稼ぎするを・・・公然許可するこそ得策」と主張していた。 

 第二に、福沢はアジアへの蔑視・侮蔑意識を先導した人物であり、「我輩畢生の目的は唯国権皇張の一点」「人種の尽くるに至るまで戦ふ」という彼の戦争勝利への異常なまでの熱意を見ると、その至上目的のために、(野蛮な)アジア女性を犠牲にすることを厭わないという対応の可能性が、十分予想されよう。
第三に、「元来兵の性質は厳令に束縛せられて恩威に服従するものなれば、圧制の長上に卑屈の軍人を付して却てよく功を奏する」という福沢の皇軍兵士構想を想起しよう。纐纈厚『侵略戦争』(ちくま新書)が「陸軍省通牒」を分析して慰安所は、「厳令」下の「卑屈の軍人」と福沢がいう「過剰なまでの階級差別」を特徴とする日本の「軍隊秩序に内在する矛盾を一切覆い隠」すアメであり、皇軍は「言わばアメとムチの使い分けによってしか軍隊としての秩序を維持できない」みじめな組織であったと分析しているからである。

⑪ 大逆事件と福沢天皇制論の緊急出版─福沢の見事な慈恵思想
1911年1月、一大陰謀の権力犯罪「大逆事件」によって幸徳秋水ら12名が死刑執行された直後の翌2月11日の紀元節に「経済ノ状況漸ニ革マリ人心動モスレハ其ノ帰向ヲ謬ラムトス・・・窮民ニシテ医薬給セス天寿ヲ終フルコト能ハサルハ朕カ最軫念(しんねん)シテ措カサル所」という「済生勅語」が出され、12名の「絞死」と引き替えの慈恵政策として、御内帑(手元)金150万円による「恩賜財団済生会」が創設された。それよりも早く、同じ2月の福沢の命日3日を選んで、時事新報社は福沢の天皇制論『帝室論 尊王論』を緊急出版した。
福沢は誰よりも早い時期から労働運動・社会主義運動の成立・発展の危険性に警鐘をならしてきた経世家であった。福沢の長男が「其思想文章とも・・・猶ほ父のごとし」と評した石河幹明を中心とする時事新報社が、その福沢の意向を汲んだ出版であり、同書巻頭には、時事新報社名義の以下の序文が全文赤字で印刷されていた。

 「帝室論并に尊王論の二編は福澤先生の著述にして我帝室の尊厳神聖を維持する所以の道を説きたるものなり・・・我国近時の世態はますます帝室の尊厳神聖を維持する所以の道を明にするの急要適切なるを認め更に両篇を合して一冊と為し之を刊行・・・」。「我国近時の世態」とは、言うまでもなく、10年5月に始まる「被疑者」逮捕で明るみに出た「大逆事件」とそれを生んだ社会状況を指している。同書は10日後には再版されたように、なぜ時宜にかなっていたのか。「至尊の辺より恩徳を施し、民心を包羅収攬」する天皇制が「国民政治論の軋轢」を「緩和」する機能を期待していた福沢は、『帝室論』において「規矩縄墨(きくじょうぼく)を以て社会の秩序を整理せんとしたらば、人民は・・・道理の中に窒塞することある可し。今この人民の窒塞を救ふて国中に温暖の空気を流通せしめ、世海の情波を平にして民を篤きに帰せしむるものは、唯帝室あるのみ。」と主張していた。これはそのまま「恩賜財団済生会」の慈善事業の勧めと読めよう。

⑫ 福沢のアジア蔑視観と「暗い昭和」期の日本兵士─なぜ平気で中国人を殺せたのか
私の所属する「不戦兵士・市民の会」東海支部の近藤一『ある日本兵の二つの戦場』(社会評論社)の証言において、福沢の教えが直接口伝えされたように、見事に継承されている姿を確認しよう(矢印の左が福沢、右が近藤)。
a「チャンチャン・・・皆殺しにするは造作もなきこと」「支那兵の如き・・・豚狩の積り」→「中国人はチャンコロで豚以下」 b「朝鮮国・・・国に非ず」「支那帝国・・・第二の朝鮮」→「中国人は、自分の国も治めることのできない劣等民族」 c「北京中の金銀財宝を掻き浚へて、・・・チャンチャンの着替まで引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ。」→「討伐のたびに兵隊が民家の金品を奪い・・・」。
近藤一(東京高裁で中国女性の強姦を含む自からの戦争犯罪を告白・証言)は、自分が罪の意識なしに中国人を平気で殺せる「東洋鬼」になったのは「小学校の時から中国人はチャンコロで豚以下」という日本社会の蔑視観のせいと語り、この(福沢が先導した)中国人への差別意識が「戦争を起こす元なんですね。」と証言している。

おわりに  一万円札からの福沢諭吉の引退を!
 日本の最高額面紙幣の肖像を飾っている福沢諭吉は、アジアからは朝鮮の「近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった、わが民族全体の敵」(韓国)、「最も憎むべき民族の敵」「帝国主義的拡張論者」(台湾)と評価されており、日本軍性奴隷問題に先駆的に取り組んできた尹貞玉さんも「日本の一万円札に福沢が印刷されているかぎり、日本人は信じられない」と語っている。問題は、福沢がこのようにアジアから批判・憎悪されている事実そのものを、おめでたい日本人がほとんど知らないという痛ましい事実である。

 安川の三著に対する学問的な反論はなく、ほかならぬ慶應義塾大学が二度にわたり福沢の講義に安川を招いた事実や、Ⅰ『福沢諭吉のアジア認識』が中国語訳(2004年)されたのに加え(Ⅱの中国語訳も間もなく刊行)、「韓国併合」100年の来年春に韓国語訳も出版されるという近年の動向は、一万円札の肖像からの福沢の引退が実現するかすかな可能性を示唆している。生前にそれが実現すると考えるほど私はオプチミストではないが、アジアと日本の歴史認識の深淵を少しでも埋めるために、交通費のみの条件で、講演・講義代行等に呼ばれるなら、喜んで馳せ参じたい。

<参考文献>
① 安川寿之輔「福沢諭吉と日本のアジア侵略─その思想の歩み」(『不戦』149号、2008年)
② 安川「天皇制民主主義はなぜ続くのか─「丸山諭吉」神話の戦後責任」(『季刊運動<経験>』26号、2008年)
③ 安川「福沢諭吉は近代日本最大の保守主義者である─韓国併合100年・大逆事件100年・工場法99年かかわって」(『飛礫』64号、2009年冬)

追記
 2010年6月に高文研からブックレット『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』が刊行されます。同書には、この報告を短縮した原稿が掲載されることになっています。
 上記3論文のいずれかについて、読んでみたいという奇特な方があれば、喜んでコピーを送りますので、ご一報ください。

安川寿之輔
         〒 464-0028 名古屋市千種区東明町5-22-2
             FAX 052-783-2291

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2010年5月30日 (日)

インターネットを政府の規制下に置く放送法改正が衆院を通過

砂川浩慶立教大学社会学部准教授インタビュー
ビデオニュース・ドットコム

Untitled

 規制の対象を放送からインターネットまで拡げ、政府の権限を大幅に拡大する危険性をはらんだ放送法の改正案が、27日、衆院を通過した。
 改正案は、現在異なる法律で規制されている放送と通信を一元化し、縦割り行政の弊害を排除するというもの。民主党政権は25日の委員会強行採決に続き、27日には衆院本会議でこの法案を可決させたのである。

 しかし、縦割り行政の弊害を排除するものといいながら、大きな問題が隠されている。、立教大学社会学部の砂川浩慶准教授は、この法案にはクロスオーナーシップ(メディア機関による相互持合い)の制限や日本版FCC(米連邦通信委員会)の設立など、これまで民主党が提唱してきた放送行政の改革がまったく含まれていないだけでなく、放送や言論に対する政府の権限を拡大する条文が多く含まれるなど、従来の民主党の主張と逆行した内容になっていると批判する。

 特に砂川氏は、この法案が規制対象を従来の放送事業から、電気通信を使ったすべてのメディアに拡げる内容となっているため、条文を見る限り、ブログやツイッターなどインターネット上の個人の情報発信までが、政府の規制下に置かれることになる点を問題視する

テキスト化
改正放送法を参議院で廃案に!(8月の前政権の押し込み答申・ネット規制を防止する法文なし)
Like a rolling bean (new) 出来事録さま

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2010年5月24日 (月)

放送の自主自律と逆行する放送法改定条項の削除を求める申し入れ

本日、原口総務大臣、衆議院総務委員、参議院総務委員に「放送の自主自律と逆行する放送法改定条項の削除を求める申し入れ」を送付しました。

衆議院総務委員 各位            2010年5月24日
放送の自主自律と逆行する放送法改定条項の削除を求める申し入れ
            NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
              共同代表 湯山哲守・醍醐 聰
         http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/
 目下、国会で審議されている放送法改定法案は放送法制定以来の大改正といえる内容であるにもかかわらず、国会での審議は尽くされておらず、広く視聴者・国民に向けた趣旨説明と意見の聴取もないまま、成立に向けた拙速な手順だけが進行しています。しかも、法案には表現の自由、放送の自主自律を脅かす怖れがある重大な条項が含まれています。これらについて当会は以下のとおり、緊急の申し入れを行います。総務委員各位におかれましてはこの申し入れを真摯に受け止め、法案の拙速な審議の仕切り直しに尽力下さるよう要望します。

.私たちが重視するのは、第一に、法案の第180条に追加された項目において、電波監理審議会に新たに放送番組の編集にまで踏み込んだ事項を審議し、審議会が必要と判断した事項を総務大臣に建議する権限を与えている点です。
 もともと、電波監理審議会は総務大臣からの諮問を受けて省令の制定および改廃,無線局の免許および取り消しなど,電波および放送の規律に関する事項について答申をする組織です。ところが今回の改定法案では審議会は、放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保することに関する重要事項や、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすることに関する重要事項について、自らの判断で調査審議し、必要と認められる事項を総務大臣に建議することができると定めています。

 しかし、電波監理審議会の委員は総務大臣が選んだ候補者が国会の同意を経て選任される仕組みになっており、委員の構成からして政府から独立した第三者機関といえるものではありません。2006年に時の菅総務大臣から諮問を受けたNHKに対する命令放送(北朝鮮による拉致問題を指定した国際放送を行うようNHKに命じる案件)について電波監理審議会が非公開の短時間の会合で即日答申をしてしまった例は、当審議会が政府・所管大臣の意に沿う結論を出す機関であることを物語っています。この時(2006年11月8日付け)、民主党は鳩山幹事長名で発表した談話の中で、本件は「放送法第3条の放送番組編集の自由を侵害する恐れがある」「にもかかわらず、・・・・・議論は公開されず、即日答申が出されたことは、独立性が担保された審議会として、その権限と責任を十分果たしたとはおよそ言いがたい。所管大臣の意向に従わざるを得ない現状を変えるためには、かねてより民主党が主張してきたように国家行政組織法3条機関に相当する『通信・放送委員会』をつくり、本件のような事案を含めた通信・放送の問題を政治の介入を排して判断できる仕組みに改めるべきである」と指摘しています。

 現政府の与党が野党の時代にこれほど独立性に疑義を呈した審議会に放送の自主自律の根幹に関わる事項に介入する権限を与えるのは自己矛盾です。そもそも、民主主義の血脈ともいえる言論の自由は与党か野党かを問わず、これを遵守するよう努力いただくのが国権の最高機関である国会の良識です。この意味から、当会は新たに追加された改定法案の第180条を削除するよう要望します。

2.第二に、当会が強く指摘したいのは法案の第30条第1項で、新たにNHK会長を経営委員会の構成メンバーに加えることにしている点です。現放送法はNHKにおける業務の企画立案・執行の権限と重要事項の議決・監督の権限を分化することによって、番組編集の内部的自由を確保しながら経営面でのガバナンスを有効に機能させる仕組みを採用しています。このような仕組みは今後とも維持・徹底されるべきものです。
にもかかわらず、NHKにおける業務の企画・執行の最高責任者である会長を業務の監督機関である経営委員会の正式メンバーに加えることは権限と責任の分化をあいまいにし、NHKにおける経営面でのガバナンスを混乱させる怖れがあります。加えて、NHK会長だけを経営委員会のメンバーに加えるとなれば、NHKの理事会の権限を一層会長に集中させ、民主的な運営を阻害する怖れもあります。
こうした理由から、当会は第30条第1項も削除するよう要望します。
 当会も現行の放送法には大胆な見直しが必要な事項が少なくないと考えています。しかし、その事項というのは今回の法案とは違って、NHKの自主自律を強化する方向への改正です。NHKの毎年度の収支予算、事業・資金計画を総務大臣の意見を添えて国会へ提出し、承認を受けることを義務付けている第37条各項や、経営委員会委員の選任を国会の同意人事に委ねている第16条第1項などはその代表例です。また、NHKか民放かを問わず、放送の自主自律を制度面で担保するための独立放送委員会構想が今回の法案に全く反映されていないのも不可解です。当会はこれらの事項こそ、時間をかけ、国民的議論を経て見直す必要があると考えていることを申し添えます。
     以上

当会は視聴者主権の公共放送をめざし、NHKの番組に対して是々非々の立場で激励あるいは批判を続けている市民団体です。
連絡先:(略)


総務大臣 原口一博殿宛PDF

衆議院、参議院総務委員 各位宛PDF



民放労連からのメッセージ

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2010年5月22日 (土)

【喜ばしい追記あり】総務委員会での意見陳述のメモ~放送法改正法案について

喜ばしい追記あり】総務委員会での意見陳述のメモ~放送法改正法案について
メディア(知るための手段のあり方) / 2010-05-21 22:29:09
 【通信・放送関連の法案を再編する放送法改正案をめぐり、衆院総務委員会は21日、日本民間放送連盟の広瀬道貞会長らを参考人招致した。電波監理審議会(総務相の諮問機関)の機能強化を盛った改正案に対し、参考人からは「番組内容の点検は放送倫理・番組向上機構(BPO)に委ねるのが適当」(広瀬会長)と反対論が相次いだ】(http://bit.ly/cHTQfC)というわけで、私も、日弁連の担当委員会担当部会の部会長として、放送法改正案審議の参考人として意見を述べてきました。質問もありましたが、一番言いたかったことは、最初の10分の意見部分です。お時間のあるときにお読みください。
【追記】とここで重要なお知らせ
      ↓

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放送法改正案・問題点を探る:毎日

/上/ 通信との融合視野、表現の自由に懸念
 衆院で今月中にも審議入りする放送法等改正案に対し、放送の自由への制約懸念が出ている。改正案は通信と放送の融合を目指し60年ぶりの大改正と言われるが、表現の自由や独立性などに関しての本質議論はほとんどなされないまま閣議決定された。2回に分けて同改正案の問題点について考える。【臺宏士、内藤陽】

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放送法改正案に関する会長声明 日弁連

今国会において、電波監理審議会(以下「電監審」という。)の権限強化が盛り込まれた放送法(以下「法」という。)改正案が上程された。
現行法では、電監審は、総務省の内部審議機関とされ、総務大臣からの諮問を受けて利害関係人による意見聴取や勧告等の権限を有しているに過ぎないが、改正法180条によれば、「放送の不偏不党、真実及び自律」等、法1条で目的として定める「重要事項」に関し、電監審が「自ら調査審議し、必要と認められる事項を総務大臣に建議することができる」こととなる。

そもそも、現行法1条の規定は、憲法によって保障される表現の自由を尊重するため政府などが放送番組の編集について関与することなく放送番組の向上適正を図るとともに、放送が国民に最大限に普及されてその効用をもたらし健全な民主主義の発達に資することを目的として定められたものである。

総務大臣は、改正法の電監審について、放送局に対する総務省の規制・監督を監視する組織とし、番組内容などへの不当な介入を防ぐ役割を持たせるものであり、法1条の趣旨に合致する旨説明している。

しかしながら、電監審は政府からの独立性が担保されていないうえ、その委員が総務大臣によって任命されることから、電監審が、総務省を効果的にチェックすることができる監督機関として機能していないと考えられ、総務省が電監審を隠れ蓑として正面から主張できない政策を審議会の建議という形で推し進めることが強く懸念される。
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放送法等の一部を改正する法律案 

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2010年5月21日 (金)

放送法改正法案の審議を中止してください。 「ComRights」

原口総務大臣殿            2010年5月21日
ComRighs有志


要 請 書

私たちは「コミュニケーションの権利を考えるメディアネットワーク」(略称ComRights)のメンバーです。ComRightsは、世界人権宣言19条などをはじめとするコミュニケーション権利に関して調査・研究を進め、放送や通信といった「場」を使って、誰もが自由に情報を発信できる社会が実現するよう啓発活動を行っている全国的なネットワーク組織で、市民メディア関係者やクリエイター、アーチスト、研究者などで構成されています。

今国会で上程された放送法改定は、コミュニケーションの権利の視点からは不十分な内容デあるといわざるを得ません。
原口大臣は1月の記者会見において「放送と通信は、原理原則を示さないまま融合すると、守られるべき国民の権利は保障されない」と回答し前政権の設置した審議会答申は必ずしも継承しないとの姿勢を示しました。
ところが、今回の改正案は、情報通信法の答申をそのまま踏襲している上に、政治によるメディアの監督強化のおそれのあるの規定を盛り込むなど、大きな問題があると考えています。
私たちは、次のとおり要請いたします。

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放送法改正が修正案審議入り 自公が提出、民主応諾

 民主党は20日、国会で審議中の放送法改正案について、「番組内容への政治介入を可能にする」との懸念から自民、公明両党が求めていた修正協議に応じた。これを受けて、同日の衆院総務委員会は両党が提出した修正案の審議を始めた。

 今国会で成立を目指す郵政改革法案の本格審議を控え、放送法改正案の審議で混乱を避けるのが狙いだ。総務委の審議次第では、改正案の一部が修正される可能性も出てきた。

 放送法改正案には、電波監理審議会(総務相の諮問機関)の機能強化が盛り込まれた。新たに設けられた条文では、電監審は放送の「不偏不党」や「真実」などの重要事項について調査し、総務相に意見を述べることができるとされており、自民、公明両党が反発していた。

 この日の総務委では、石田真敏氏(自民)が「メディア規制の強化につながりかねない」として、改正案の関係条文を削除するよう要求。原口一博総務相は「(改正案が成立しても電監審は)番組内容の調査はできない」と述べ、全面的な削除や修正には否定的な考えを示した。

2010/05/20 20:03   【共同通信】


NHK新会長、招へいへ環境づくり 総務省が放送法改正案
2010/3/2 22:19  nikkei
 NHKの福地茂雄会長の後任選びに向けた環境整備が進んできた。総務省は2日、NHKに関する制度改革を盛り込んだ放送法改正案を与党議員が出席する同省政策会議に提示。執行部を率いる会長が最高意思決定機関の経営委員会の議決に参加できるようにするほか、放送機器メーカーの役員などが会社を辞めてすぐにNHK会長に就任可能な制度にする。

 経営委員会は外部の経営者や有識者ら12人の委員で構成。現在会長は議決に参加できず、委員の質問への回答役などにとどまってきた。委員と執行部が対立する場合もあり、総務省は「委員会の議論に執行部の見解を反映しやすくする」と法改正の狙いを説明する。

 会長が経営委員に自分の人事権を握られ、同委員会の議決に参加できない現状には、有力経営者らの間で「経営者として腕がふるいにくい」との見方が広がっていた。放送機器メーカーのほか新聞社の役員も退任から1年経過しないと会長以下のNHK役員に就任できなかったが、退任直後でも就任可能に変更。後任候補の選択肢を増やす。

 福地会長が2011年1月の任期満了前に辞任する意向を関係者に伝えたことを受け、外部人材の招へいを軸に後任の人選が進んでいるもよう。人選を円滑にするためにも総務省は改正案を今通常国会に提出し今夏にも施行させたい考えだ。

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2010年5月18日 (火)

放送法改正審議に対する「見解」を発表 「放送を語る会」

今国会での放送法「改正」案の審議・採決を急がず、論議を尽すよう要請します。       2010年5月17日 放送を語る会

 1950年の放送法の成立以来、例のない抜本的な「改正」案の国会審議が始まっています。
 この「改正」は、有線テレビジョン放送法、有線ラジオ放送法、電気通信役務利用放送法の3法を廃止し、放送法に統合する、という大がかりなもので、自公政権時代から追求されてきた「通信・放送の総合的な法体系」へ向かう流れに位置づくものです。
 政府は今国会で成立させたい、としていますが、「新放送法案」ともいうべき「改正」案にはいくつか懸念される問題があり、またその内容が複雑多岐にわたるため、国民の理解が充分でないまま、審議が進んでいます。当会は、このような状態がある中で「改正」案の成立を急ぐことに強く反対します。

第一に、「改正」放送法案・・「新放送法案」では、放送に対する行政の規制、介入が拡大するのではないかという心配があります。以下の点はその懸念の一例です。

1)まず、放送の定義が、「公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信をいう」と改められます。現行法では「無線通信の送信」ですが、新放送法には有線の放送が含まれることから、広く「電気通信の送信」とされることになります。
 かつて情報通信法が構想された段階では、インターネットについても一定の規律が考えられましたが、表現の自由を侵害するとの批判が強く、今回の放送法「改正」案はインターネット規制の内容は入りませんでした。
 しかし、近年、インターネット放送局や動画サイト、個人のブログでの発信などが飛躍的に発達、拡大しており、これらが、「電気通信」であり、「公衆によって直接受信されることを目的とする」、という側面をもつことは明らかです。
将来、この側面が強調されて、「放送の定義」が拡大解釈されないかと懸念する人々も少なくありません。「改正」案では、条文上もインターネットを対象にしないことを明確にすべきです。

2)総務省発表の「改正事項概要」の中に、「放送の業務(ソフト)と設備の設置(ハード)の手続きを整理し、あらゆる放送についてハード・ソフトの一致か分離かを事業者が選択可能に」という説明があります。これまでの放送制度を大きく変える「改正」です。
 つまり、放送の送信設備など「ハード」だけの放送事業者と、番組制作など「ソフト」の事業を担う放送事業者が、それぞれ別に存在しうることになり、ハード側については電波法による「免許」、ソフト側については、新放送法による総務大臣が「認定」する制度となります。ただし、ハード、ソフト一致を希望する場合は、「免許」だけで足りるという制度も併存します。(現状ではNHK・民放各局などが該当する。)
 ハードとソフトが分離している衛星放送では、総務大臣の「認定」制度は既にあるのですが、新放送法では、これが広く地上放送にも持ち込まれることになります。
 施設の「免許」ではなく、番組制作など、放送業務(ソフト業務)を対象にした総務大臣の「認定」制度は、行政による放送内容への介入を可能にする温床となって、放送における表現の自由と、放送事業者の自主・自律を規制しないかが懸念されます。制度の是非や内容についてなお慎重な検討が必要ではないでしょうか。

3)新放送法案の第百八十条に、電波監理審議会の「建議及び資料の提出等の要求」という条項があります。これは電波監理審議会が、放送における重要事項に関して「調査審議」し、総務大臣に「建議」できるというものです。ここでの重要事項とは、放送の不偏不党、真実および自律、放送が健全な民主主義の発達に資すること、といった内容です。
 総務省は、この調査審議は、放送事業者に対してではなく、行政による放送への介入、干渉を対象としている、と説明したと伝えられています。
 しかし、独立性が高くなく、総務大臣の一諮問機関に過ぎない同審議会が、他の行政機関の監視ができるかどうかは疑問です。また、重要事項として挙げられている項目は、「放送編集準則」として具体化され、放送事業者の自律に委ねられている内容ですが、近年、こうした準則違反を理由に行政の介入が繰り返されてきました。電波監理審議会の「調査審議」「建議」が、放送事業者の準則違反を監視するものになるのではないか、という懸念もまた拭えません。
 もしこの条項が、放送事業者を対象にするものでないならば、そのことを条文で明確にすべきです。

第二に、新放送法案は、ハード・ソフト分離にみられるように、放送に対する企業のビジネスチャンスを拡大する、いわば産業振興の立場から提案されています。
 もし放送法成立以来の大改正であるなら、現代の言論、表現の自由の状況を踏まえて、放送における市民の権利をどう拡大するか、放送における民主主義の保障をどう実効あるものにするかの「改正」であるべきです。しかし、そのような視点はほとんどありません。
 近年、地域市民によるコミュニティ放送の発展があり、また、既成放送メディアに市民の発信の場を確保するパブリックアクセスの要求も高まっています。NHK、民放とはちがうこうした第三の潮流に対し、その権利を拡大し、支援する、という現代的な課題も意識されていません。民主党が政策とした、放送行政を政府から切り離し、独立行政委員会にゆだねる、という積極的な方向も、すっかり姿を消してしまいました。
 いま、総務大臣主催の「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」が連続して開催され、市民の立場から提言や要求が出されていますが、その論議の成果を待たずに、この新放送法案の成立が急がれることは大問題です。

なお、NHKに関しては、経営委員会を経営委員と会長で構成するという条文が新設されます。経営委員会のメンバーに会長が入るという提案は突然のもので、論議が尽されていません。国会で同意を得て任命される経営委員の、NHK執行部にたいするチェック機能を弱めることにならないか、など、その影響の充分な検討が必要です。

 NHKについては、経営委員、会長の選出過程の透明化、公選制、公募制など、受信者の権利拡大の方向へ向かう「改正」こそいま求められているものです。
 以上のように、新放送法案は、明確にすべき論点の多い法案であり、充分時間をかけた議論が必要です。それを、条文公表後わずか2か月余りで国会を通過させようとするのは、あまりに乱暴だといわなければなりません。広く国民的論議を求めるべき法案であり、審議、採決を急ぐことのないよう、重ねてつよく要求するものです。


放送法「改正」案の拙速な採決に反対し、徹底審議を要求する
日本ジャーナリスト会議

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「開かれたNHKをめざす全国連絡会」NHK経営委員の選任にあたっての申し入れ

総務大臣 原口一博様            2010年5月12日
NHK経営委員の選任にあたっての申し入れ
開かれたNHKをめざす全国連絡会
世話人:岩崎貞明
           隅井孝雄
           醍醐 聰
           松田 浩

時下、貴職におかれましては各種の政務にご多用の毎日と存じます。
さて、来る6月19日もしくは20日に5名のNHK経営委員が任期満了を迎えるのに伴い、新しい委員の選任が行われることになっています。公共放送NHKが言論・報道機関として民主主義社会に果たす重責を考えるとき、私たちはNHKの重要事項の意思決定機関である経営委員会メンバーの選任に重大な関心を持たざるを得ません。そこで求められるのは、選任のプロセスの公開性と視聴者・市民の意思を反映させる仕組みであり、選任基準の明確化です。

放送法は任期を終える経営委員にも再任の道を開いています。今回、任期が満了する経営委員の中には、日頃の経営委員会や視聴者と語る会の場などで視聴者の目線に立って、NHKと適正な緊張関係を保ちながら放送の自主自律のために尽力された委員がおられます。しかし、その一方で、NHKにおける経営や番組の企画・執行機能と議決・監督機能の役割分担や放送番組編集への経営委員の介入を禁じた放送法の趣旨を理解せず、それらを平然と踏みにじる言動を重ねてきた経営委員も見受けます。また、多くのメディア研究者やジャーナリスト、各地の市民団体の再三にわたる申し入れにもかかわらず、特定の経営委員ポストを財界人の指定席かのようにたらい回しする悪弊が続いています。

そこで、私たちは今回の経営委員の選任にあたって以下の事を申し入れます。貴職におかれましては、これらの申し入れを真摯に検討され、公共放送NHKの監督機関のメンバーにふさわしい見識を備えた委員候補を選考されるよう、強く要望いたします。
(注:政府が経営委員候補を選考し、国会の同意を求めるという現在の制度は、メディアによって監視されるべき政治権力を担う政府がメディアとしてのNHKの議決・監督機関の人事に直接関与するという意味で重大な矛盾を抱えており、抜本的な見直しが必要と考えますが、以下では、現行の放送法を前提にして申し入れを致します。)

1. NHKが担うべきジャーナリズムとしての機能とゆたかな文化をはぐくむ役割を深く理解し、NHKを権力からの自立したメディアとする砦としての役割を経営委員会が担うのにふさわしい見識を持った人物かどうかを選考の基本に据えること
2. 任期が満了する経営委員についても、各委員の任期中の言動に示された資質を上の基準に照らして検証し、再任の可否を判断すること
3. 受信料を負担し、NHKの経営を支える視聴者に候補者の公募、推薦の途を開き、政府が選考した候補者とともに透明な審議を行うこと
4. 国会での同意人事に先立って、視聴者に公開された国会の場で各候補の所見を聴取すること。
  (注:貴職が民主党のネクスト総務大臣に在任中に、同党の総務部門は党の同意人事小委員会の仙谷委員長宛に提出された「NHK経営委員会の同意人事のあり方の見直しについて」の中で、「NHK経営委員会委員の同意人事の審査に当たっては、同意前に衆議院及び参議院の議員運営委員会もしくは総務委員会にて候補者を招致し、直接、所信等を聴取することとすべきである」と申し入れをされていることを申し添えます。)

なお、NHK経営委員会の構成についてこの機会に再度、申し入れをいたします。今回の放送法改定案の15条では「経営委員会は、委員12人および会長をもって組織する」とし、NHK会長を経営委員会の正規のメンバーに加えることにしています。しかし、本年3月17日付けの貴職宛の申し入れで当連絡会が指摘しましたように、NHKの会長を任命する権限を持つ経営委員会に当のNHK会長が加わるのは自己矛盾です。また、NHK会長を経営委員会の正規の構成員とすることは、本来分離され相互に緊張関係を保つべきNHKの業務の執行と監督を混在ないしは一体化させるという深刻な問題を惹起させるものです。
このような理由から、私たちは、放送法15条の改定に強く反対し、撤回を求めます。むしろ、公選制などを含めNHK会長、経営委員の選出過程の透明化、視聴者・市民の参加を推進されるよう要望致します。                          以 上


同様の趣旨の申し入れを
衆議院総務委員 各位
参議院総務委員 各位   宛にも送付しました。

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2010年5月16日 (日)

「韓国併合」100年日韓知識人共同声明

 今年韓国併合100年を迎えるにあたり、併合にいたる歴史過程や併合条約の評価について日韓共同の歴史認識を確認する声明が5月10日、日韓それぞれ100人をこえる知識人の署名を集め、発表されました。(共同声明の全文はこちら)

 共同声明はA4判3枚。併合条約等について〈韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である〉としています。

 その説明として、共同声明は〈日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法無効であると解釈したのである。/併合の歴史については今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである〉としています。

 日本側発起人の一人、和田春樹さん(東京大学名誉教授)は、「昨年秋から日韓両国を相互訪問するなどして内容を話し合ってきました。日韓歴史共同研究委員会(第1期)の日本側座長・三谷太一郎さんと、韓国側座長・趙東杰さんが署名した意義は大きい」と話しています。
韓国併合100年日韓知識人共同声明 「朝日」「47」「赤旗」以外は無視

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2010年5月10日 (月)

掲示板より:NHKの放送法違反の背景

続けられる NHKの放送法違反の背景
投稿者:ささき のぶひこ  投稿日:2010年 5月10日(月)13時18分30秒
「続けられるNHKの放送法違反の背景には、何があるのか?」(前の記事)で、その例の一つに5 月9日の日曜討論(普天間基地問題 どうなる“5月末決着”)の例を上げました。
 この放送では、多くの対立した論点が取り上げられ、内容としてはかなり充実した放送であったといえます。
この点では、同じ司会者による2009年5月31 日の日曜討論(敵基地先制攻撃容認論を中心とした討論)と比較すると、大きな改善が見られたといえます。しかし、「普天間基地の無条件撤去が解決の道である」との論点が排除されたことにより、放送法第3条に違反しました。 この論点は、与党・多数党がとっていない論点であり、出席者が直接その論点に触れていなかったので、司会者が放送法の立場から放送するべき問題でした。
それができなかったのは、NHKおよびNHK論説委員室の体質あるいは、放送を与党多数党に偏らせる役割がその背景ではいかとの理解を重ねて証明する結果となっていました。改善を求めます。
 http://koheina-hoso.blogspot.com

NHKの放送は、放送法違反ばかりではない!
投稿者:ささき のぶひこ  投稿日:2010年 5月10日(月)13時21分11秒
  このサイトでは、具体例をあげて、NHKの放送には与党・多数党に偏り、対立する論点や少数党の軽視・無視の放送法違反があり、改善されるべきことを中心に記事としています。たとえば、番組終了時の「君が代」の放送は、1952年4月から開始されています。 「君が代」には賛否の両論がありますが、NHKによる放送は強制の性格を持ちます。 連日の放送は、思想・良心の自由に反し、憲法と放送法に違反する放送です。このような放送とその姿勢は、世論・選挙・民主主義をゆがめるもので、改善されなければならないものです。
 このサイトの立場は、放送を具体的に分析し、放送法にはずれた編集の意思があらわれている場合には、それを指摘し、改善を求めることです。一方、放送法にもとづいたすぐれた放送も数多くあります。
 その評価・記録が目的ではないので、掲載はしていません。 受信料は、そのような放送のために使われるべきです。サイトは単純な受信料不払いの立場はとらず、そのような放送に対しては、放送法と民法にもとづいて(注)受信料は積極的に支払われるべきであると考えます。注: 放送法違反の放送相当分の受信料は、民法にもとづいて支払いを拒む権利があることを前提としています。読者は、上記を理解の上、このサイトを正しく評価されるよう希望いたします。
サイト管理人  http://koheina-hoso.blogspot.com

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2010年5月 9日 (日)

「坂の上の雲」のどこが問題なのか? ~史実の偽造を拡散させるNHKの社会的責任

[講演会のお知らせ]
「坂の上の雲」のどこが問題なのか? ~史実の偽造を拡散させるNHKの社会的責任~

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日時:2010年5月30日(日)PM1:30〜3:30
場所:志津コミュニティセンター 2F 大会議室 (ユーカリが丘駅北口、モノレール公園駅下車 2 分)
講演者:醍醐 聰
資料代:300円

Ⅰ.史実を改ざん・黙殺した原作の誤りを公共の電波で拡散させるNHKの責任
(1)日清・日露戦争は日本にとって「受け身の」「祖国防衛戦争」だったのか?
(2)伊藤博文は開戦回避・朝鮮の独立に尽力した平和主義者だったのか?
(3)日本は国際法を守って日清・日露戦争をフェアに戦ったのか?
(4)正岡子規は日清・日露戦争の時代に明るい青春を謳歌したのか?「なき人の むくろを隠せ 春の花」(子規の従軍日記より)

Ⅱ.司馬遼太郎の遺志に背いて原作のドラマ化を推進したNHKの責任 (1)司馬遼太郎は原作のドラマ化を拒んでいた。
(2)後年、司馬の朝鮮観は大きく揺らいでいた。

                  
講演者紹介

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醍醐 聰
「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク呼びかけ人
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表
元東京大学大学院経済学研究科教授
(2010 年 3 月退職)
佐倉市宮ノ台在住

主催:『さくら・志津憲法9条をまもりたい会』 連絡先:(Tel&Fax)043-487-1350(中河)043-488-0537(前田)

*とくに連絡は不要です。ご自由に、ご参加ください。
   

Pdf_icon1

 講演会のお知らせPDF

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2010年5月 6日 (木)

NHK会長の権限、強化へ転換? 放送法改正案asahi.com

NHK 会長の権限、強化へ転換? 放送法改正案 2010年05月05日23時05分  NHKの会長が最高意思決定機関の「経営委員会」に加われるようにすることなどを盛り込んだ放送法の改正案が、連休明けから衆院総務委員会で審議される 見通しだ。会長の権限を、これまでの流れとは逆に強化するこ……» 続きを読む NHK 会長の権限、強化へ転換? 放送法改正案
NHK会長の権限、強化へ転換? 放送法改正案
 NHKの会長が最高意思決定機関の「経営委員会」に加われるようにすることなどを盛り込んだ放送法の改正案が、連休明けから衆院総務委員会で審議される 見通しだ。会長の権限を、これまでの流れとは逆に強化することの是非が議論される。

 かねて総務省内で検討されていた放送法改正案に、NHKの件が突然加わったのは3月のことだ。当事者の経営委にもぎりぎりまで伝えられず、委員の一人は 「何の意見聴取もなく重要な決定がされて非常に残念」と話す。

 放送法は会長の権限を抑えるため、1959年以来、組織の意思決定は経営委が行い、それに基づく業務執行を会長が担うよう役割を分けてきた。それでも歴 代の会長は強大な権力をふるってきたため、不祥事が相次いだここ数年は経営委の権限をさらに強化。経営委員でつくる監査委員会を新たに置くなどした改正法 が08年に施行された。

 だが、約20年ぶりの外部登用で08年に就任した福地茂雄会長は「(委員12人のうち11人が非常勤の経営委で)重要な経営の意思決定をしていいの か」(3月の国会答弁)と疑問を口にしていた。こうした意向が反映され、意思決定の場に会長も入る案が盛り込まれた格好だ。

 この案に対し自民党は「会長の権限が強まりすぎる」と批判的だ。法案が唐突に出てきたことで、民主党内にも議論を尽くすべきだとの声がある。3月の参院 総務委員会では、役員である理事の権限を強めるなど、会長への権限集中を見直すべきだとの意見が出ている。(丸山玄則、岡林佐和)

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2010年5月 5日 (水)

NHKを監視・激励する視聴者コミュニティご意見板 より

都道府県選挙管理委員会・中央選挙管理会御中  公明な選挙に関する申し入れ
投稿者:ささき のぶひこ 投稿日:2010年 5月 5日(水)09時08分40秒
返信・引用 
都道府県選挙管理委員会・中央選挙管理会御中

公明な選挙に関する申し入れ

NHKは、日曜討論(2010年5月2日第1部で)、「新党改革代表」のインタビューを放送しました。

重要な問題なので、放送は当然です。 しかし、他少数野党党首の同じテーマでのインタビューを排除したことは、編集の自由以上に、政治的に不公平で、放送法に違反します。

それは、世論・選挙をゆがめるので、公職選挙法の目的にも反します。

改善を求めます。

なお、「NHK国内番組基準」は、「報道番組」の基準(第2章第5項)から「政治的公平・論点の多角的明確化」をはずして、放送法をゆがめています。「適切な放送」の根拠とはなりません。

また、他の放送にも[別紙]のように放送法・公職選挙法に違反例が多数あります。

改善のない場合には、消費者基本法に基づいて、適切な処理を申し入れる予定です。
以上
2010年5月5日
(住所)
九条の会「公平な放送を!」http://koheina-hoso.blogspot.com
サイト管理人
ささき のぶひこ

(同文: 消費者庁、都道府県選挙管理委員会、放送倫理・番組向上機構、NHK、日本民間放送連盟、民放各局など関係先)

[別紙]
選挙をゆがめる与党・多数党の論点中心、対立する論点を軽視・排除のテレビ放送例
(判断責任: 九条の会「公平な放送を!」 http://koheina-hoso.blogspot.com 管理人)

1.NHK  2010年2月12日 ニュ-ス番組(自衛隊の海外派遣関連); 2009年5月31日「日曜討論」

2. フジテレビ 2010年2月 7日、4月4日 新報道2001

3. 日本テレビ 2010年1月29日 太田光の私が総理大臣なら・・・

4.  TBSテレビ 2010年4月4日 時事放談; 2010年5月1日 サタデーずばっと

5. テレビ朝日 2010年2月7日 サンデ- プロジェクト田原コ-ナ-; 2010年4月4日・5月2日 サンデーフロントライン; 2010年3月10日 スーパーモーニング; 2010年5月2 日 サンデースクランブル

6. テレビ東京 2009年11月22日 「週間ニュース」

以上

http://koheina-hoso.blogspot.com

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