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2010年2月12日 (金)

「言論の自由を守る砦」のために~放送行政の独立機関化を考える

岩崎 貞明(『放送レポート』編集長)

http://masrescue9.seesaa.net/article/140891731.html
 原口一博総務大臣は、昨年12月から総務省で「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」を発足させた。原口大臣によれば「言論の自由を守る砦」を作るための議論を、有識者などによるこのフォーラムで1年ほどかけて行っていくのだという。

これまでの議論を傍聴している限りでは、各メンバーが自らの関心事をそれぞれ散発的に述べ合うだけで、集中的な議論はまだ始まっていないが、「国民のコミュニケーションの権利」などといった、自民党政権時代にはおよそ公的な場では聞くことのできなかった単語が飛び交う会議には、新鮮な感銘を受けた。こういう会議が公開で(インターネット中継もされている)進められることは歓迎したい。

 この「砦」がいったいどのようなものを想定しているのか、現時点でははっきりとしていないが、選挙前から公表されていた民主党の政策集『INDEX2009』の中では「通信・放送委員会(日本版FCC)の設置」と題して〈通信・放送行政を総務省から切り離し、独立性の高い独立行政委員会として通信・放送委員会(日本版FCC)を設置し、通信・放送行政を移します。これにより、国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督するという矛盾を解消するとともに、放送に対する国の恣意的な介入を排除します〉とうたっている。

放送行政を政府から切り離して、放送に対する国家権力の不当な介入を排除しようという姿勢を示していることは、まず評価していいと思う。
 問題は、そういう組織をどのように作り上げ、運営していくか、ということにある。そこで、先進諸外国では通例となっている独立行政委員会による放送行政を実現するために、筆者としてぜひ検討してもらいたいと考えるポイントをいくつかご紹介したい。

▼新委員会に与えられるべき権限
 これまで政府は放送局に対して、放送内容に踏み込んで、厳重注意などの行政指導を繰り返してきた。もちろん、「やらせ」など不祥事が跡を絶たない放送業界の体質に根本的な問題があることは否定できないが、放送局側がこのような行政指導に対して、放送の自由の立場から反論したり抵抗したりしてこなかったのは、放送免許の許認可権を政府に握られているからだ。このような弊害を払拭するためには、やはり免許権限を政府から切り離して、独立の行政機関に任せることがまず必要だ。

 先進諸外国では、放送行政は政府から独立した機関が担っているところが主流で、OECD(経済協力開発機構)加盟30ヵ国のうち26ヵ国が放送行政の独立機関を擁している。欧米ばかりではなく、韓国や台湾でも同様の独立行政委員会が設置されている。逆に、そのような仕組みを持たないのは、日本のほかはロシア、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ベトナム人民共和国といった国々だ。

民主党が『INDEX2009』で掲げている「日本版FCC」も、アメリカの通信・放送行政における独立機関FCC(連邦通信委員会)に倣おう、という趣旨が読み取れる。

 日本の放送実態は、アメリカのように民間放送のネットワークが圧倒的に普及していて、公共放送がわずかな位置しか占めていない国とも、欧州諸国のように何らかの形で政府が関与している公共放送が中心になっている国々とも異なって、巨大な公共放送と複数の民間放送のネットワークという非常に充実した状況がある。ということは、放送行政についても日本独自の仕組みがあっていいはずだ。

 日本でもほんの一時期だけ、放送行政の独立機関が存在していた。戦後、GHQの指導によって1950年に電波法・放送法が成立した際、同時に成立したのが電波監理委員会設置法だった。この電波監理委員会が、米国のFCCに倣って独立性の高い行政委員会として発足した。ところが、サンフランシスコ講和条約が締結され、GHQによる占領から日本が独立を回復した1952年、当時の吉田茂内閣はこの電波監理委員会設置法をさっさと廃止して、この委員会を省庁(郵政省・総務省)の外局である電波監理審議会に改組してしまった。元祖「日本版FCC」は、たった2年ほどしか存在しなかったのだ。

 もちろん、60年前に倣って電波監理委員会をそのまま復活させることが、いま求められている改革ではないだろう。当時の電波監理委員会の委員は郵政省の天下り官僚で占められ、政府からの独立性が疑わしいものだったことも事実だ。

それでも、この電波監理委員会の独立性を示すエピソードとして、日本テレビへの放送免許を出した経緯が挙げられる。当時、政府はNHKに先にテレビの免許を出すよう、電波監理委員会に働きかけていた。委員会の廃止が決まり、最後の会合となった1952年6月30日、郵政省は委員会に対してテレビ免許付与の決定をしないよう申し入れたが、委員会はこれを拒否、郵政省の官僚たちを委員会の席から締め出して日本テレビに最初にテレビ免許を出す決定を下したという。

 もっとも、日本テレビへの免許付与は、良くも悪くも日本の放送業界の生みの親と言うべき正力松太郎の影響によるもので、政治的な力学から離れた自律的な行政判断とは言えないものだった。それでも、時の政府の意向に反する判断を堂々と下すことができた独立行政委員会の存在は、それだけでも歴史に留められるべきものだろう。

▼放送内容への介入はNO
 さて、米国のFCCは独立機関として強力な権限を有していて、放送番組の内容についても監視・チェック機能を持っている。2004年2月に行われたプロフットボール(NFL)全米一を決定するスーパーボウルのハーフタイムショーに出演した歌手・ジャネット・ジャクソンさんの胸が放送中に露出した問題で、FCCは生中継で放送したCBSテレビに対して55万ドル(約6000万円)の罰金を決定した(これについてはCBS側が逆にFCCを提訴して、フィラディルフィアの連邦高裁が支払い命令を取り消す判決を下している)。わいせつな、あるいは下品な表現について、FCCは独自にチェックして、問題があれば放送局にペナルティを課すことができるのである。

 これをもって、「政府が直接規制しない独立行政委員会だったら放送の内容を自由にチェックしてもいいんだ」と思われてしまったら、筆者の本意ではない。

独立行政委員会といえども、強力な行政権限が付与されるわけだから、総務省による行政指導と同様の、あるいはそれ以上の萎縮効果を放送局にもたらすことになりかねない。
日本では、NHKと民放が資金を拠出して運営している放送倫理・番組向上機構(BPO)が、人権侵害など番組上の問題が発生した場合には、裁判よりも迅速に、また経済的負担も少なく解決を図れるような仕組みを取っている。放送業界の自主規制の一環として第三者的機関を置くのは、国際的にみても類例のない、メディアの自律を尊重した仕組みと言える。せっかく作ったこのシステムを十分に生かして、放送の内容に関わる問題については行政委員会としては一切関与しないような形にしておくことが望ましい。

 しかし、このような独立行政委員会を擁している国々は、何らかの形でその委員会に番組内容規制の権限を付与しているところが多いようだから、以上のような議論は現実にはなかなか難しい問題を含んでいる。日本の場合、BPOの位置づけをどうするかが、やはり最大の焦点となるだろう。

▼独立機関の組織のあり方
 米国のFCCは、与野党2名ずつ、および大統領の推薦による1名の計5名の委員で構成されている。政治的なバランスは考慮されているが、国民の間のさまざまな意見を放送行政に反映させるためには不十分だ。欧州諸国では十名前後の委員を抱える組織が多く、民主的な合議体を構成するためには最低でも十名前後の委員が必要だと思われる。日本の場合、放送免許は地域性を重視している(県域免許)から、委員の選出も東京一極集中でなく、地域的なバランスを考慮したい。そうすれば、自然と多数委員制にならざるを得ないだろう。

委員の選任方法としては、選考委員会を別に設けてそこが候補を推薦する方法や、一般公開で公募する枠を設けたり、弁護士会などいくつかの団体からの推薦枠を設けたりして、選任過程をできるだけ公開することが望ましい。もちろん、政府は選考過程にできるだけ関与しないようにしておくのは言うまでもない。

 委員が少ないFCCは、逆に1800人に及ぶという大規模な事務局スタッフを抱えている。しかし、番組内容の監視や規制を行わない行政委員会だということにすれば、それほど巨大な事務局は必要ないはずだ。だから、日本の場合は事務局を作るための財源には、それほど心配はないと思う。問題となるのは、事務局スタッフを総務省などからの出向や天下りなどの官僚もしくは官僚OBで占めてしまうことだ。これでは自民党政権の時代と実質的には変わるところがなく、せっかく独立行政委員会方式を採用する意義が大きく損なわれてしまう。

たしかに、電波・通信・放送行政は通信技術や周波数割り当てなど、非常に専門的な知識や経験が必要なものもある。そういう意味では、技術官僚やその経験者をまったく排除した事務局を構成すること自体が非現実的かもしれない。しかし、民間にも優秀な人材は少なくないはずだから、スタッフはなるべく民間から登用することにして、政府との距離を十分取れるようにすることは、ある意味で委員会の委員構成よりも重要性なポイントだろう。

▼委員会の運営も透明性を
 透明性の高い組織構成を目指すなら、その運営にあたってもできるだけ市民に公開してもらいたい。政府の審議会は基本的には会議を公開する方向にあるようだが、なぜか総務省の電波監理審議会は議事を公開しないままとなっている。通信関連企業などの企業秘密に関わる問題もあるかもしれないが、電波という国民の共有財産を使う以上、一定の公開性は担保されるべきだ。少なくとも、発言した委員の名前を明示した議事録を速やかに公表することは、法律で明確に義務付けられる必要がある。

現に、冒頭で紹介したように「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」では、狭いながらも傍聴席が設けられ、インターネット中継もされている。こうしたことを積み重ねてゆけば、政治におけるあらゆる意思決定過程がそれなりに透明化されていくことに期待が持てる。

 また、議論の過程でも公聴会や聴聞会を設けるなど、一般市民の意見を直接取り入れる工夫も採用してほしい。これは組織作りのための議論ばかりでなく、出来上がった組織を運営する上でも重要なポイントになる。放送や通信は不特定多数の市民がある意味で利害当事者となり得るわけだから、そういう人々の意見を参考に行政を進めることは、民主主義社会のルールとして早期に確立されるべきだと思う。またわれわれ市民も、この機会にあらゆることを「お上にお任せ」でなく、自分の意見を明確にして行政にモノ申す姿勢を心がけることも大事なことではないだろうか。

▼放送の自立・自律こそが前提
 縷々述べてきた放送行政の独立機関化に向けた論点だが、これらの前提になっているのは、繰り返しになるが「独立委員会といえども国家権力の一端を担う組織であることに変わりはなく、表現の自由の観点からは放送の内容に介入するようなことは極力避けるべきだ」という考え方だ。そのためには、放送局が自立の精神を保ち、自ら市民と向き合い、市民からの批判に正面から応えて、より豊かな放送環境を作り上げる努力を払う、という姿勢が不可欠だ。

 そういう意味で、いま放送のあり方についてどういう議論が行われているのか、放送局がちゃんと放送の中で視聴者に情報提供し、自らの考え方を明らかにしていく必要がある。放送業界はこの変動の時代にどのような行動をとるのか、心ある市民は固唾をのんで見守っている。そういう市民の視線に応えようとしない放送局では、どんなに立派な行政組織を作ったところで同じことだろう。

放送行政の独立機関化の問題は、立派な行政組織を作ることが目的ではない。それによって放送に携わる者がより自由で豊かな放送空間を実現させる気概を持たなければ、市民のメディア不信は決定的に取り返しのつかないものとなるだろう。(了)

「言論の自由を守る砦」のために~放送行政の独立機関化を考える

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