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2009年11月16日 (月)

戦争の不条理を問わず戦果に執心する好戦趣向~『坂の上の雲』は軍国日本をいかに美化したか(第2回)

 連載の第2回目では、司馬遼太郎作『坂の上の雲』が主人公(秋山兄弟)らの心象風景に焦点を当てることによって、日清、日露戦争をめぐる歴史の核心部分の認識をいかにはぐらかしているかを論じる予定だったが、その前に原作は戦場をどのように描写したかを作品に即して検討しておきたい。これが歴史小説としての『坂の上の雲』を評価する上での必須の土台になると思うからである。

『坂の上の雲』を「明治の青春群像物語」に改編するNHK
 NHKは来る11月29日から始まるスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送を前に目下、出演する人気俳優を広告塔にして大々的な番組キャンペーンを行っている。その際、NHKはドラマ化の企画意図を次のように説明している。

 「『坂の上の雲』は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代 化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明 治という時代の精神が生き生きと描かれています。この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれる に違いありません。」http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/viewpoint/

 本当にそうか? 原作を読めばこうした意図で原作が脚色されると、出来上 がったドラマは原作と似て非なるものになることがわかるはずである。そこで、上のようなNHKの企画意図が『坂の上の雲』の内容をいかに捻じ曲げるもので あるかを原作に沿って検証していくことにする。

戦争の不条理を問わず、軍事作戦の描写に執心
  『坂の上の雲』の主人公、秋山好古(よしふる)は日清戦争において内モンゴルで清国軍騎兵隊などと交戦した陸軍第一師団騎馬第1大隊長であり、後年「日本 騎兵の父」とも呼ばれた人物である。また、もう一人の主人公、秋山真之(好古の弟)は日露戦争で東郷平八郎のもと連合艦隊司令長官として作戦参謀を務めた 人物である。そして原作はひとことでいえば、日清・日露戦争を題材にした歴史小説であるが、その内容は両戦争を指揮した主人公ら日本の陸海軍及び政府の戦 争戦略・作戦の巧拙を実況中継さながらに描いた小説である。そこには日本軍の戦闘を指揮した職業軍人の品定めや日本軍の命運を左右した作戦の巧拙を延々と 記述した箇所はあっても、前線に赴かされた兵士を虫けらのように殺傷する戦争の不条理、非人道性を描く場面はほとんどない。この点は司馬自身が「あとがき 6」で次のようにはっきりと自認している。

 「人間と人生について何事かを書けばいいとはいうものの、この作品の場合、 成立してわずかに30余年という新興国家の中での人間と人生であり、それらの人間と人生が、日露戦争という、その終了までは民族的共同主観のなかではあき らかに祖国防衛戦争だった事態の中に存在しているため、戦争そのものを調べねばならなかった。特に作戦指導という戦争の一側面ではあったが、もしその事に 関する私の考え方に誤りがあるとすればこの小説の価値は皆無になるという切迫感が私にあった。その切迫感が私の40代のおびただしい時間を費やさせてし まった。」(文春文庫、新装版、第8分冊、360ページ)

 つまり司馬は、日露戦争は時の政府なり軍部が国民の意思とかけ離れたところ で仕掛けた侵略戦争ではなく、国家と国民が一体化した「民族的共同主観」なるものを精神的支柱として始めた「祖国防衛戦争」だったと解釈するのである。だ からこそ、『坂の上の雲』では戦争そのもの、とりわけその中の作戦指導という側面に焦点を充てる必要があったとし、その側面の考え方の是非がこの作品の価 値を左右するとまで言い切ったのである。

となると、この作品では戦争の作戦を立案し指揮した軍部上層部の動静、作戦の巧拙に関心が向かうのが必然となる。上の引用文に続く記述は次のとおりである。

 「満州における陸軍の作戦は、最初から自分でやってみた。満州への軍隊輸送 から戦場におけるその展開、そしてひとつひとつの作戦の価値をきめることを自分ひとりのなかで作業してみるのである。戦術的規模より戦略的規模で見るよう にしたため、師団以上の高級司令部のうごきや能力を通じて、時間の推移や事態あるいはその軍隊運用の成否を見てゆこうとした。」(第8分冊、360ペー ジ)

 ここから、司馬が日清・日露戦争における作戦・指揮の描写にいかに執心していたかが伺える。その典型例ともいえる一節を紹介しよう。

人間の殺傷よりも戦果を問う好戦趣向
 日露戦争のさなか、旅順港の外洋に出て南方海上へ逃走するロシアのウイットゲフト艦隊とそれを追撃する東郷艦隊の激戦は「黄海海戦」として知られている。これについて『坂の上の雲』には次のような記述がある。

 「三笠の被弾はもっとも多く、1弾は中央の水線部に命中して穴をあけた。さ らに1弾は甲板をつらぬいて炸裂し、また1弾は後部煙突に命中し、死傷者を多数出した。甲板は血だらけであり、肉の破片があちこちに飛び、艦橋にいた真之 がふと見ると、目の前に片腕が飛んできて、物にあたって落ちてゆくのがみえた。」(第4分冊、47ページ)

 大変リアルな戦場の描写である。しかし、原作は次のように続く。

 「が、東郷艦隊は依然としてまだ十分な戦闘をしていないのである。ウイット ゲフトにいなされつづけているために十分な砲戦ができず、戦闘の大半の時間は敵ともつれたり離れたりする運動でついやされた。時間がたつばかりで、東郷は 敵の1艦をすら沈めていないのである。」(第4分冊、47~48ページ)

 「逃した直接の原因は、東郷艦隊の最後にくるりと回転したその1回転半の運 動時間にあったといえるだろう。このあいだにウイットゲフトは逃げに逃げ、東郷が追跡に移ったときはすでに3万メートルも東郷をひきはなしていた。戦艦の 主砲の有効射程が7千メートル前後であったから、もはや東郷にとって絶望にちかい距離であった。」(第4分冊、49ページ)

 つまり、『坂の上の雲』にあっては黄海海戦はそれが招いた人間殺傷の現実は 二の次で、海戦の展開、とりわけ日本艦隊の作戦の巧拙、戦果こそが関心事だったのである。肉片が飛び交う凄惨な戦闘を経てもなお、まだ日本艦隊は露軍を1 艦も沈めていない、まだ十分な戦闘をしていないと描写するあたりは、原作が何にこだわったかを示す好例といえる。

 こうした『坂の上の雲』のこだわり、好戦趣向は次の一節に典型的に表れている。

 「そこへ夜襲して、手さぐりで接近しつつ20本の魚雷を射ち、やっと3艦を 傷つけただけであった。魚雷をうつとすぐさま背進し、全艦艇が無傷で帰ってきた。奇襲者が無傷で帰るとは、それだけ肉薄しなかったことであり、つまり軍艦 を貴重だとおもうあまり、差しちがえて自艦をも沈める覚悟が、日本の駆逐艦指揮者に薄いからである。」(第4分冊、51ページ)

 どこから飛来するとも知れぬ砲弾におびえる兵士にとって恐れ入ったご託宣を真顔で得々と書き募るあたりを読むと、原作を好戦趣向の小説と呼んでも言い過ぎではないという確信に至る。

2009年11月16日 (月)

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