NHK労組(日放労)から回答がありました。
2009年6月7日の 「ETV2001改編問題でNHK労組(日放労)の姿勢は?」 に対する回答が届きました。
(1頁のみ、見にくいので以下書き下し)
これに関する当会の見解は追って掲載します。
NHKを監視・激励するコミュニティ 御中 2009年7月24日
貴団体からのご質問に対する回答
日本放送労働組合 中央執行委員長 山越 淳
まずは、回答が遅れましたことをお詫びいたします。
日時を区切った質問書を突然にお送りいただいたなかで、どのような趣旨でのご質問かを十分に読み取ることができなかったため時間がかかりました。組合員にも意見を聞いたため、時間がかかったことをご理解ください。
現時点でも、ご趣旨に十分応えるものになっているかどうかわかりませんが、しかしながら、ことは現代社会における公共放送のあり方についてですので、私たちの基本的な考え方をお返事申し上げます。
質問1 貴組合は今回のBPO委員会の意見書、及びそれに対するNHK執行部の見解をどのように受け止めておられるか、お聞かせください。その際、BPO委員会はNHKが放送・制作部門と国会対策部門を分離するなどの措置を講じなければ今後も同様の問題は起こると警告していますが、こうした指摘を貴組合はどのように受け止めておられますか?
(答) 政治との距離については、政治家等への説明はおこなわないことが会長から明言されました。この点については、先生方には届いていなかったかもしれませんが、労使交渉でもたびたび求めてきたことであり、高く評価したいと思っています。また、この点についてのBPO委員会の結論についても、異論はありません。これまでの交渉では、放送ガイドラインの公開なども求めてきましたし、今回の経営の姿勢は大きな一歩だと考えています。
質問2 貴組合は、「この裁判を通じて明らかになった多くの課題から目を背けることはできませんし、今回の判決でそうした課題が解決したわけでもありません。これまでの経緯を踏まえつつ、私たちに課せられた役割と背任の重さをあらためて噛みしめ、日々の業務の中で公共放送としての役割と責任を着実に果たし続けていきたいと考えています」(http://nipporo.com メッセージ「『ETV2001]』判決を受けて」)と記しておられますが、こうした考えのもとに公共放送としての役割と責任を着実に果たしていくため、具体的にどのような取り組みをされるのか、お聞かせ下さい。
(答)日放労のウェブサイトをご覧いただいたのであればすでにご承知かと思いますが、放送運動として公共放送インタビューをはじめとするさまざまな取り組みをおこなっております。また、直近ではありませんが、これまでたびたびフォーラムを開催するなどETV2001問題に関する取り組みも、内部で検証したり外部の方を招いたりしておこなってきました。もしこうした取り組みが先生方にとって「取り組みに見えない」、というのであれば、それは、後ほど述べます、ジャーナリズムや公共放送に対する社会一般の受け止めをどう認識するか、という立場の違いからであろうと思います。この点はご議論いただければ幸いです。
質問3 当会はETV番組改編問題について視聴者代表やジャーナリストらも参加する検証番組を企画・放送するようNHKに申し入れていますが、この要望について貴組合はどのようにお考えか、お聞かせください。
(答)検証番組の制作については、放送職場を中心に組合の場でも求めてきた経緯があります。この問題が根ざしている議論の基礎を共有、共感しうる土壌を準備することと同時に検証番組の可能性も検討され、視聴者の疑念を解消することに建設的につながるのであれば、組合としても異論はありません。
私たち組合には編成権がありませんが、しかし、それでも視聴者の疑念を晴らしていくことを求めて続けていくために、あるいはさまざまなかたちの検証がより建設的な意味を持つために、上記の「土壌」を醸成するために力を注いでいるところです.制作現場に携わった人間が、ひとりの個人あるいは公共放送の職員としてどのように触る舞うべきであったか、ということが、そうした土壌の上での検証によって、NHK内部のみならず視聴者からの視点からも大いに議論され、放送の現場のあり方や、NHKという組織の社会的な構成にまでを視野に入れた実効的なものになるよう、私たちとしても望むところであり.すでにそのような試みを始めております。
質問4 BPO委員会が強調したNHKにおける内部的自由は放送の自由を強固なものにする上で不可欠と私たちも考えています。こうした内部的自由を確立するにはNHKの職場でNHK執行部と緊張関係を保ちながら協働する主体が存在することが不可欠だと考えます。私たちは貴組合がそうした主体としての役割を果たされるよう強く期待しています。しかし、その一方で貴組合はETV2001番組改編問題をめぐる最高裁判決について、「最高裁判決は『期待権』を原則として法的保護の対象として認めないものであり、表現の自由を尊重した判断として評価したいと思います」と論評しておられることに私たちは同意できません。
もともと、放送事業者に認められた編集の自由は自足的なものではなく、視聴者の知る権利に応えるためのものです。この点でETV2001番組改編事件の本質は、NHK執行部が戦時性暴力の事実に関する視聴者の知る権利に背を向け、一部政治家の圧力・干渉の前に編集の自由を自ら放棄した点にあったと私たちは認識しています。こうした私たちの見解について貴組合はどうお考えか、お聞かせ下さい。
(答)誤解なきよう申し添えておけば、放送事業者に認められた編集の自由は自足的なものではなく、視聴者の知る権利に応えるためのものであるというのはそのとおりだと理解しております。引用いただいている文章で申し上げたのは、私たちを規律する放送法が刑事罰的な制裁規定を持たない倫理規範としてあるという理解(これは通説的な理解だと考えています)に立つならば、編集の自由に関わる問題もまた原則として制裁や罰則の問題ではなく倫理の問題として扱われるべき、ということです。判決が出た当時の多くの他のメディアも同様の論調でした。
『期待』という言葉で表現されるような視聴者からの要望や声に、今回の事態へのNHKの対応が十分応えていないのではないか、という指摘はそのとおりだと受け止めています。が、それが損害賠償の根拠となるような、あるいは、放送差し止めといった制裁の根拠となるようなものではない、ということを意味したつもりです。まさにそれゆえに、放送倫理の観点から出されたBPO倫理検証委員会の見解を、協会はもちろん私たち職員も真摯に受け止める必要があるのではないでしょうか。
法的な損害賠償や制裁の対象となるような政治介入があったかどうかについては、組合が調査権を発動して調べるわけにはいきません。高裁判決における事実認定を最高裁が継承しているのかどうか専門家の間でも意見が分かれるなかで、私たちがどちらかを法的に決定しうるような論拠も持ち合わせていません。
ただ、倫理判断の部分において、政治との距離を疑わせ、視聴者の知る権利に十分に応えていない行動があったのではないかということはそのとおりと考えており、この点は厳しく反省すべきと、経営に対し組合としても何度も主張してきているところです。また法的でなく倫理的だからといって、公共放送にとって本質的でないと主張したことは一度もないと思います。その解決策として、政治との距離の確保、検証番組の可能性も含めた視聴者への説明責任といったことはあってしかるべきと考えます。
質問5 NHKがBPO委員会の指摘を真摯に受け止め、自主自立を堅持しつつ市民の知る権利に答えに応え、言論の広場としての役割を果たすためには、放送現場の職員の内部的自由とNHKの番組や経営(受信料の使い方など)について視聴者が発言し参加する権利を連繋させることが重要だと私たちは考えています。
そのために当会ほかいくつかの視聴者・市民団体は従来から貴組合に対し、シンポジゥム等の共催を呼びかけたり、視聴者・市民団体が企画した集会等への参加を呼びかけたりしてきました。しかし、これまでのところ、一部の例を除き、貴組合はこうした呼びかけに消極的な姿勢を取り続けてこられました。貴組合がこのように視職者・市民との連携に消極的な姿勢を取り続けられるのはなぜでしょうか?理由をお伺いします。
(答)私たちの活動を「消極的」と批判的に捉えられる、その観点がどのようなものかお聞きした上でなければこの議論は噛み合わないかもしれませんが、こちらの考え方をお伝えいたします。
私たちの活動がみなさんから見て消極的だと見られるのであれば、それは組合内で、執行部によるイデオロギー的な指導性に頼るのではなく、民主的な運営を図ってできるかぎり総意をとりつつ、より根本的な立脚点を模索しているからです。直接的な行動が無意味だという意味ではありませんし、スピード感がないというご批判になるかもしれませんが、現在の状況を踏まえて放送の自主自律や公共性を議論するためには、そうした方策が重要だと考えているからです。
いま私たちは、たとえば市民運動華やかなりし時代のように、社会からジャーナリズムやマス・メディア、それを通じての権力との戦いということに圧倒的な支持を得た時代とは異なる、きわめて難しいメディア状況の中で、組合員のみならず現場すべての職員が、どうにか公共放送を維持しようと奮戦しています。いま私たちの前にあるその現状を無視することはできません。そうした多様な現状に直面している職員からは、直接行動を起こすという選択肢以外にも、さまざまな声が上がってくるのは当然だろうと思います。
むろん、先生方がこれまで運動として継続してこられた、ジャーナリズムが民主主義社会において発揮すべき力の重要性や、公共放送が公正中立を守り、権力と対峠することで視聴者から信頼を得て活動すべきといった理念にはいささかの疑義もありません。かりにもジャーナリズム、公共放送に務めている者としてその理念は理解しています。しかしながら、私たちが日々接している市民・視聴者はみながみなそのように考えているわけではありません。メディアのあり方に批判的な方々はまだしも、先生方もよくご承知の通り、メディア態様の変化によってジャーナリズムや公共性そのものについて無関心な人々が増えているのが実情です。これはNHKだけの課題ではなく、民放や新聞についても同じことが起きているのではないでしょうか。メディア自身の反省も当然必要でしょうが、社会学的にも論証されつつあるこうした大きな変化に日々現実に接していれば、どのようにジャーナリズムや公共性を根本から再構築していけばいいのか、そうしなければ 次の時代に公共放送はおろかジャーナリズムが残せないのではないか。そのことがより重要な課題となって私たちの意識に浮かび上がるのもご理解いただけるのではないかと思います。 同時にこれは、内部的な課題でもあります。これは日放労の反省でもありますが、これまでこうした課題を「表現者の自由」として捉えるあまり職種でいえば記者やディレクターに偏った議論が強くなっています。が、放送は新聞以上に非常に多くの職種の人たちの共同作業によって成り立っており、そのひとりひとりが組合員である以上、全員の意識を同じ方向に持って行くかが課題なっています。内的自由についてのご指摘がありましたが、ヨーロッパのような職種ごとの組合があるところでは容易な議論も、日本のテレビ局ではまだ容易ではありません。その点を踏まえて、個人の表現の自由ではなく受信料制度に支えられた職員の内的自由をどう考えていくかがわれわれにとっても重要な課題です。こうした意識が十分に醸成できていないことは、われわれがこの問題を含め議論するため開催したフォーラムでも大きな課題として浮かび上がってきているものです。
長くなって恐縮ですが繰り返しますと、先生方や市民団体の方がおっしゃっているジャーナリズムの重要性や公共放送のあるべき姿にいささかの疑義を唱えるものでもありません。そこへの「開かれ方」が足りないというご批判であればお受けします。 ただ、志を同じくする者が集まって決起することのみで、この問題は解決すると信じることも困難な時代です。「開かれ方」が足りないというご批判に応えるとすれば、「市民・視聴者」とひとくくりにすることが難しいと感じられるより複雑化し重層化する社会の中で、日々の仕事を通じてはもちろんのこと、組合活動の中でも、いかにジャーナリズムや公共性を、それこそ多様化した「市民・視聴者」とともに再構築していくか、それが私たちにとって、視聴者とNHK職員が共同して、政治のみならずさまざまな影響からの「自主自立」を確立するために検討しなければならない喫緊の課題となっているからです。このことについては、通信との融合時代を乗り切り、きわめて長い戦いを繰り広げることになると覚悟はしておりますが、先生方におかれましても、日々現実の視聴者動向をフィールドワークして、民主主義社会にとって重要なジャーナリズムや公共性のよって立つ基盤を再度捉え直す、その再構築にもご協力をいただけますよう、お願いを申し上げます。 以 上
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